blog では讀んだ本を纏めた事を報告するだけであって、內容は書かない事にしてゐる。纏めは Scrapbox を、本は本を見る事。本は少なくとも私の手元に有る。
眞理とは明らかな事、明らかにされた事である、この自明と思はれる考へは光で譬喩へられる。だが光ではない、かといってそれと對立もしない考へを述べようと書いてあり、百万遍知恩寺での古本市でこの本を見掛け、世の中には變はった事をやる人がゐるなぁと思って買った。ぼんやりとした考へをぼんやりと擴げたいと云ふ動機は、中途半端に中途半端である事ができるか、徹底して中途半端であればそれは徹底してゐて中途半端でなく、徹底しなければ中途半端でないところを殘してゐるのだ、と云ふ事を昔から考へてゐた。明晰←→乖離と云ふ對とそれに附隨する圖式が私の最新の解だが、明晰の側に肩入れし過ぎてゐると思ふ。