人類や人類のやうなものが存續すると云ふ意味での後世についての倫理的な意味を、現代的な宇宙觀の下で、形而上の對論を持ち出さずに學問的に論じた書物は私の記憶の中でもこれが初めてだ。後世について論じた書物はごまんと在るが、現代的でない宇宙觀や形而上のものを持ち出すか、善などの未定義語や人生訓で濟ませるか、既知のものとしてしか扱はないかになってしまふ。著者は、自分はそう遠くない內に死ぬ、そしてそれが恐ろしい、しかし人類のやうな集合體は普通の想像を越える期閒は續くと云ふ、現代的な時閒觀念に於いて自然な推測が、倫理學的に、思ったより重要な信念であると云ふ事を背理法的に示してゐる。この本は倫理學者が倫理學の範疇で倫理學者宛てに書いた論述である。だから倫理學を想定しなければ、何を今更當たり前の事をと思ふだらう。しかし人口に膾炙しつつある現代的な宇宙觀を誤魔化さずそのまま信ずる限りでは、倫理學のみが可能な宗敎で、つまり行爲の意義や人生觀の根據なのだと云ふ事を私は事實だと思ふ。