この本の文庫版が出た頃に立ち讀みして、クモノスカビの麹の性質を中國の長い期閒でものを考へる性質と、コウジカビの糀の性質を日本の新鮮な流行を追ひ掛ける性質と結び附けてゐ、けったいな事を考へるものだと印象に殘ってゐた。そもそも著者のこの中國と日本の性質の解像度は呆れるほど低いから當時は買はなかったが、私はけったいな事を考へる人が好きで、再び見かけてやはり氣になったので購入した。著者の、醱酵菌と人の遣り取りを讀者に橋渡ししようとする優しい思ひを感じられれば成功だと思ふ。
山田仁史「人類精神史」2022/12/16
兩河世界を創作するに當たって人類史に關心がありかう云ふ本は讀む。この本で紹介されてゐる學說で私の興味を惹いたものは二つあった。一つは、fetishism・shamanism・totemism・animism と云ふ四つのよく論じられる信仰の形態をそれぞれ、人造物を通じて向かう側と繫ぐ、人閒を通じて向かう側と繫ぐ、自然物を通じて向かう側と繫ぐ、向かう側そのものを感じる、と單純に整理した學說だ。もう一つは、古く狩獵と採取から人が食物を得る方策を工夫した時に、女性が採取する植物を世話するところから農業が發生し、男性が狩獵する大型動物を制禦する所から牧畜が發生した、食物の主な供給元は採取と農業だったから農業が發生した頃の時代は女性の地位が高く男性は經濟の外で競ふ爲に着飾った、牧畜された大型動物に犁を引かせるやうになったところから男性が農業も主導するやうになった、ここで女性の地位が再び低下した、と云ふ學說だ。日本でも縄文人がドングリ類を世話してゐたらしい事を見ても全く故無しとはしない。
佐藤郁哉「リサーチ・クエスチョンとは何か?」2024/11/10
私は專門の硏究者ではなく、論文を他の硏究者に問ふて生活の足しにしてゐないから、著者の、社會科學系の實證硏究をどう計畫しどう論文を書くかと云ふ課題には共感できない。しかし日々に遭遇する事象に疑問を抱き追究する行爲の範型として私にも感ずるものがあった。人に惡い事が起こって對處を話し合ったり良い事が起こって今後に活かす方策を話し合ふ際に、私はまづ事實を列擧して確かめ、その後に原因や策を考へるやう話を進めがちだ。これは、誰も困ってゐない問題に就いて話し合ってゐた事に氣附き幾度も徒勞を感じた經驗によるものだ。この本が示してゐる、What で事實を問ひ、Why で理論を問ひ、What と Why の往還が進んだところに How to で對策を考へ、對策をまた事實と理論で見直すと云ふ手順が、私の話し方の覺え易く實用的な圖式として使へるので、ありがたく memo をとった。
observalibity の柱である MELT の "E" : Mackerel のグラフアノテーションを活用する
この記事はMackerel Advent Calendar 2025の12/12 (金)分である。
observability の三本柱と event
observability とは system の狀態を何らかの telemetry によって表現し、telemetry から system の狀態を推測しようとする一連の枠組みである。telemetry のよく知られた種類に、metric・log・trace がある。例へば一分每の HTTP response time や CPU load average を記錄して樣子を伺ふのは metric だ。HTTP request log や code に埋め込んだ debug log から處理を知るのは log だ。HTTP request を受けてから response を返すまでの一連なりの處理で起こった出來事を追跡し分析するのが trace だ。
metric・log・trace の他にも telemetry はある。その一つが event だ。event は、system に起こった重要な出來事を記錄したもので、application の deploy・設定の變更・instance の增減等を見る。形は log に同じだが、system に大きな變化を齎す出來事のみに絞る點が異なる。event は metric・log・trace と合はせてしばしば "MELT" と略される。
他によく活用されるのは例外 (exception)・profile 等である。
metric・event・log・trace を、metric を中心に置いて圖に描くと以下の樣になる。

- metric : 特定の期閒の system の狀態を幾つかの數値に表現し測定したもの。latency・request 數・error 率・disk IO 量等。
- event : system に加へたあるいは加はった變更を記錄したもの。deploy・設定の變更・user による特定の操作等。
- log : system で處理を行ふたびにその處理內容を主に text 形式で記錄したもの。debug log 等。
- trace : 處理を開始してから完了するまでの處理を追跡したもの。分散した system に亙る處理を分析するのにも有用。
Mackerel のグラフアノテーションに event を記錄する
metric を眺めてゐると system 傾向が大きく變はってゐる樣を見つける事がある。傾向の變はる原因の大半は deploy や batch 處理の開始等の event だ。metric を見てゐる最中に event と直ぐに對照できればすぐに原因を知れ便利である。この爲にグラフアノテーションがある。

グラフが途切れてゐるのを見附け、原因を調べるとその期閒で maintenance に入れてゐた事を思ひ出したとする。再び思ひ出さずによい樣に、アノテーションを附してしまへばいい。
頻繁に起こる event ならば、event が發生する際に自動でアノテーションを投稿するといい。deploy の開始と完了をアノテーションとして投稿する事を考へるとしよう。CD server に mkr を install しておく。deploy 開始時刻と完了時刻を變數に入れておき、
mkr annotations create \ --service 'YOUR-SERVICE' \ --from "${start_timestamp}" \ --to "${end_timestamp}" \ --title 'deploy した revision と成否などを書くといいでせう' \ --description 'deploy の log への link などを書くといいでせう'
を實行するといい。
GitHub Actions で實行するならば susisu/setup-mkr が便利だ。
この樣に起きた event を metric と共に記錄しておくと metric の理解が深まる。是非御活用あれ。
今後もMackerel Advent Calendar 2025を御樂しみあれ。
渡邉雅子「論理的思考とは何か」2024/10/18
この書では、思考の、特に rhetoric の合理的な有り樣は一通りではない事が、四つの有り樣を具體的に示して明かされてゐる。この紹介自體が私には有益な事だった。
批判 (critique) と云ふ語は「非難」と混同されがちだが、私は異なると思ふ。
批判 :
形声。「手」+音符「比 /*PI/」。「うつ」を意味する漢語{批 /*phii/}を表す字。のち仮借して「優劣を評価する」を意味する漢語{批 /*phii/}に用いる。
形声。「刀」 + 音符「半 /*PAN/[字源 1]」。「わける」を意味する漢語{判 /*pʰˤanh/[字源 1]}を表す字。
critic :
Critic - Etymology, Origin & Meaning
昔はcritick、1580年代、「判断を下す者、特定の物のクラスの価値を判断するスキルを持った人」を意味し、フランス語のcritique(14世紀)から、ラテン語のcriticus「裁判官、検閲者、評価者」、また「文学作品の信義のない部分を発見する文法学者」から、ギリシャ語のkritikos「判断を下すことができる者」、krinein「分ける、決定する」(PIEルート*krei-「ふるいにかける」、したがって「識別する、区別する」)から派生。『本、劇などの価値を判断する者』という意味は1600年頃から。英語の単語は常に「検閲者、欠点を指摘する者、厳しく判断する者」というニュアンスを持っている。
これを讀む限りでは批判と云ふ語は二つから成る。
- 對象を、同じ範疇の他と比べる。
- 評價する。價値を判斷する。
一方で非難 (批難) は、blame と譯すべき語で、對象の價値を下げる行爲だ。評價は既に終へてあり、價値が低いと云ふ事を如何に傳へるか心を砕き言ふ行爲だ。
(他の人の弱みや過ちを)責め、なじり、こき下ろす とがめ立て。
「非難」の別表記。
批判と同樣に、criticize と云ふ語もこき下ろす意で使はれる。この事からも批判は非難と混同され易い事が窺はれる。比べる・比較する行爲も、價値を判する・評する行爲も、對象を相對化し有限化する過程を經る筈だ。比較は對象が他のものと同列に言へるものである事を含意する。評價は對象が無限の價値を持つのでなく、對象にとって外なる基準で計れるものである事を含意する。批判は逆說的に對象が、絕對あるいは空虛で比較不能である、無限あるいは無で評價不能であると結論してもよい。批判は對象が批判不能であると結論してもよいが、批判可能であると見做す限りでは、たとへ他より優れ價値が高いと評定する場合であっても、對象の絕對性を疵附け相對化し、無限性を疵附け制限する。逆に「評價する」と云ふ語が對象をよいものと認める行爲を指しもするのは、批判が、對象が消え去るものでなく既存と同列であると見做し居場所を與へ、價値が無でなく有である事を言ふ行爲でもあるからだ。
私は本書を讀みながら、比較は二つの對象のみによってはうまくできない事を直感した。本書では合理性の在り方を通りに體系附け、どの作文方式も、或る領域では最高であり、他の領域では不合理に見える事を示唆してゐる。對象が二つしかない場合、互ひに映し比べ、それぞれ一つの角度から照らすに留まる。その角度から見ると云ふ事自體は何からも拘束されない故に、比較する相手がそれである事は單に任意であるに過ぎない。他の相手と比較してもよく、異なる位置附け・評價になるだらう。對象が
個在れば、
通りの比較が成され、或る比較は他の五つの比較に體系內で拘束される。體系が說得力を有せば批判の說得力を補強しよう。



