芸能やスポーツがこれほど話題になるのは、不思議におもえることがある。芸能に携わるものたちが、くっついたりはなれたりと云ふ事や、スポーツで誰が打った、誰が打たれたと云ふことは、わたしたちには関わりのないことで、よく考えてみようとすれば、どうでもよいことのようにおもえる。しかしこれは、思考が現実をおいて進み過ぎてゐるのかもしれない。芸能者のくっついたりはなれたりがおおいに気になるのは、わたしたちが身の回りの人間の、くっついたりはなれたりが気にかかるのと、延長かもしれぬ。これは別に日本の特有なことではない。そうすれば、芸能と云ふものは、親族的な遺制であるのかもしれない。政治 (まつりごと) が親族的な関係だったころの遺制は、現代の政治にも残ってはゐるが、だいぶ拂拭されてゐる。政治 (まつりごと) が親族性からほんとうに離れはじめたときに、取り残された観念が、芸能としておいていかれたのかもしれなかった。それがはじまったのは、中世武家政権のころからだと、いってみたいところもある。芸能やスポーツが、密室の秘密事におもえるところがあるのは、こう云ふところに有るのかもしれない。