c4se記:さっちゃんですよ☆

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simple と easy は對立しない。「覺える事が少ない」は simple とは關係無い

simple と easy は對立しない

2023/1/20

(※simple と easy は對立しない - .。oO(さっちゃんですよヾ(〃l _ l)ノ゙☆)の轉載です)

simple か easy か? と問はれる場面も有る。これが simple XOR easy であるかと言へば、そんな譯は無い。simple にすれば hard になり、easy にすれば複雜になる、そんな譯は無い。そんな trade off は無い。

simple と云ふと Simple Made Easy と云ふ講演が在る。

この講演では simple と easy を定義してゐる。
simple の反對は complected、easy の反對は hard。
simple とは一つのものに對應する槪念が一つである事。complected とは一つのものに對應する槪念が複數である事。simple であるか complected してゐるかは客觀的に決まる。誰が判定するかに關はりが無い。學問と同じく議論の對象に成り得るだけだ。
easy とは自分に親近してゐる事。hard とは自分から疎遠である事。easy であるか hard であるかは主觀的に決まる。判定する者の經驗、文化等に依存する。判定する枠組みが大きく異なると、議論の對象に殆ど成り得ない事も有る。

上記の講演では、simple は easy を導くとは話してゐない。simple と easy の關係に就いては、simple と easy は異なる觀念である、simple は easy に成り得る、位いの事だ。この講演では simple に就いて話してゐる。

似た題名の dotGo 2015 - Rob Pike - Simplicity is Complicated は、上記の定義に則る限り、simple の話はせず easy の話だけをしてゐる。Go の使ひ勝手を easy にする爲に Go の runtime はこんなに複雜な事をしてゐる、と紹介してゐる。easy にする爲の作業は easy ではない。"Easy is hard" と呼ぶべきだった。

simple と easy は背反すると云ふ雰圍氣で話されるのを聞く事すら有る。經驗的にさうだ、と云ふ譯だ。だがこれは經驗が誤ってゐる。
simple を考慮せずに何か變化させれば complected になる。simple を考慮せずに easy にしようとすれば complected になる。easy にするから complected になるのではない。simple を考慮せずに何か變化させるから complected になる。
easy を考慮せずに何か變化させれば hard になる。easy を考慮せずに simple にしようとすれば hard になる。simple にするから hard になるのではない。easy を考慮せずに何か變化させるから hard になる。
simple を考慮するか easy を考慮するか、人は短時閒では一つの事しか氣にしてられないと云ふだけの事だ。更に、simple を考慮しようとしても simple の一部しか氣にできない。easy を考慮しようとしても easy の一部しか氣にできない。
だから simple と easy は trade off ではない。しくじるだけだ。trade off だと云ふなら、simple と simple は trade off が有り、easy と easy は trade off が有ると言はねばならぬ。
因みに complected であれば hard に成ったりもしない (認知限界と云ふ觀念は主觀的な基準だ)。complected であっても親しければ easy だ。多くの人閒は、人閒と云ふ complected な對象と簡單に親しくなる。斷崖絕壁を登るのは simple だが多くの人にとっては hard だね。

さて easy を目指すと云ふ事は。
easy であるか否かは判定する者の background に近いか遠いかだ。人類と云ふ background を當てにするのでなければ、service を提供する相手の background を制限すると云ふ事に成らう。宮大工の現場の人に Mackerel を賣る譯にもいかないだらう。
假に「enterprise の人々を相手にするなら、今迄と同じ background を想定してはいけない! background を變へなければ! 詰まり製品をごっそり變へなければ!」と考へるなら、これに贊成すべきな否かは私にはわからない。それは正しいかもしれないし、それは、enterprise の人達には自分と違ふ人種であって欲しい、違ふ人種でないと困ると云ふ思考停止かもしれない。

「覺える事が少ない」は simple とは關係無い

2023/4/7

(※「覺える事が少ない」は simple とは關係無い - .。oO(さっちゃんですよヾ(〃l _ l)ノ゙☆)の轉載です)

私は「simple」と「easy」と云ふ語は殆どの場合に、下記の記事で定義した意味で言ってゐる。少なくとも下記の記事では、下記の記事で定義した意味で書いてゐる。

cf. simple と easy は對立しない

simple とは、1 つのものが 1 つの槪念に對應する事。complected とは、1 つのものが複數の槪念に對應する事。
easy とは、自分に親近である事。hard とは、自分から疎遠である事。

上記の記事に對する反應に、「simple なもので構成されてゐるのは覺える事が少ないからよい」と云ふものが見られた。これは「simple」を上記の記事とは別の意味で言ってゐるから、上記の記事に對する反應としては誤りであると言はねばならない (上記の記事に對する反應としてでなければ別に構はない)。

上記の記事でも參照した Rich Hickey さんの別の講演 Simplicity Matters では、complected なものの例として函數の引數 (positional arguments) を擧げてゐる。函數の引數は、何番目に data を置くかと言ふ位置と、data の意味とを complect してゐると述べてゐる。對應するものは名前附き引數になる。tuple も同じ事で、tuple に對應するものは map になる。
覺えるものが少ない言語は、1 つのものを多くの事に使へるのだと思ふ。1 つのものを多くの事に使ふなら、1 つのものが多くの槪念に對應してゐるから simple ではない。
simple/complected か easy/hard かは關心が異なる。simple/complected はものと槪念の關係に關心が有る。easy/hard は人と對象の關係に關心が有る。simple なものだけで構成されてゐる言語は考へ難いし、あらゆる人にとって easy な言語も考へ難い。
自分に親近してゐれば新たに覺える事は少なからうから easy であらう。覺える事が少ないと發言される時、それは「何某に親しんでゐれば」と云ふ前提が置かれてゐる樣に見える。
上記の記事に引いた講演は「simple」の語源から辿った定義に基附くが、「simple」は多くの人にとって hard であるらしく、easy に差異を加へた槪念として使はれるのが、よく見掛ける場面である。なら「easy」と言へばよいではないかと思ふのだが。