c4se記:さっちゃんですよ☆

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資質と才能・イメージ #memo

1.

運命とは、資質と青年してから出会う社会との差異である​。
イメージとは、言葉を俯瞰した部分体系である。

2.

言葉を或る一定の視点から鳥瞰したものをイメージと謂う事が出来る。故にイメージは言葉に対して一定の恣意性を持っている。
無意識は、夢も然うであるが、喩えばコンビニエンスストアで握り飯を選択する時、振り返ってってみれば何となく、細かく言えば此れが何か良さそうだ、此れは何か嫌だと云う動きは有るが、振り返ってみれば何となく選択をしている。概念的な意志が完全に働いているならば、此の選択は洞所迄も理由を辿って行ける筈だが、苦労して掘り返してみても洞所かで生理の不明に辿り着いて終わって了う。此れは身体的な志向に対応していると言ってしまう事も出来るが、無意識は言葉に対して大きな恣意性を持っていると言った方がいい。無意識は言葉に成る了解の水準を持たないので、言葉の鳥瞰した部分体系であるイメージに対して一定の恣意性を持っている。

3.

才能は個人的な問題であるが、天才・秀才・凡才は社会的な問題である。此れは「純粋に」個人的、或いは「純粋に」社会的と云う事​を意味するのではなく、より個人的位相である、或いはより社会的​位相である事のみを意味する。其の様な形でしか、言葉と云うものは分離出来ない。

資質と才能が異なるのは、資質は個人の〈自然〉な傾向性であるが、才能は其れを社会的に見得るならばと云う前提に基しているからである。才能が有ることと天才として傑出することは、また別の話に導かれる。一廉[ひとかど]の人と成るに才能は必要ではない。反復のみがゆいつ大成を可能にする基盤であり、反復は運命に属するので資質には即ち属さない。天才は才能の概念であり、凡才や秀才は​、才能(資質)の社会的な撥露と、反復を齎した[もたらした]運命への投機である天才の、反射した概念に過ぎな​い。

4.

才能 http://c4se.hatenablog.com/entry/20090404/1238805543

妥協と惰性と完成に就いて
http://theinterviews.jp/ne_sachirou/1529364

2011-09-20 03:11:09

どこぞやの暢気な呉川くんについては如何思ってる?

仕事の約束をしたことを、二人して忘れておりました。曲作ってね。私もつくるスケジュール立てます。つくるのはシキだけど。

ま、風呂敷拡げる時期はありますし、わたしは今でも拡げてますけれど、わたしはまだ中学生なのか、それよりも、質に関わらず〈完成〉させることはとても大事なのだ、質は作品の合間に上げればよいのだ、という事をですね。作品を完成させると云うことは、そのものに対する統一的な視点を持つことですからね。作り上げてしまわなきゃ、道筋を考えられないんですよ。慣れれば、実際に終わるまえにも、仮想的に作り上げてしまって、そこから事後的に見るのは出来たりするのでしょう

ま、そこから先はですね、わたしも練習ですからね。

マイルス・デイヴィス

練習ってやつは、祈りを捧げるようなものだ。一週間に一回とか一か月に一回というわけにはいかない。

http://japan.digitaldj-network.com/archives/51632869.html