プレゼン (presentation) の秘訣なんてものがわかれば、わたしは苦労しないので、presentationと云ふものはなんであるのか、すこし考へを述べてみたと云ふところだ。
〈劇〉とは何かと云ふところに寄せて考へて了ったので、あまり好い答へではない。presentationが〈劇〉であるところでは、この劇は、言語的に必然の〈劇〉になるものだ。presentationと云ふ構成が、見てゐる者に成り立ってゐる限り、だれかの力量に依って〈劇〉に成ったり成らなかったりするものではない。然ふ云ふことが言ひたいのではなかった。まわりから成り立たされてしまう〈劇〉に、自分の必然的な言葉がどこまで耐へ得るか、と云ふことが言ひたかった。此れは、書くと云ふ表現の水準で喋ることなのだと思ふ。
cf. 〈書く〉と云う事は、時間の外化した言葉である。 http://c4se.hatenablog.com/entry/20110402/1301731858
@rararanago .。oO(あれは舞台があるので、劇をやるのです。劇にはいろいろなやりかたが有りますが、劇だと云う事は確かな筈です。言葉の水準が、舞台の一線を越えて耐えうるように、構成度に耐えなければならないのだと思うのです。)
— ももんが連山☆撲滅さっちゃん♬♪♡ (@ne_sachirou) June 11, 2013
@rararanago .。oO(まぁ…あれは文章を書くのと同じだ、という辺りなんじゃないかと思います。普段喋ってるときは、喋っているのは自分自身で、その言葉も自身と地續きのようなものですけれども、
— ももんが連山☆撲滅さっちゃん♬♪♡ (@ne_sachirou) June 11, 2013
@rararanago .。oO(ですけれども、劇は、それ自体が書かれた結果のようなもので、自分が自分について書いたのだ、その書かれた自分が劇をしているのだ、と考えるのがちょうどいいんだと思います。有り体に謂えば、
— ももんが連山☆撲滅さっちゃん♬♪♡ (@ne_sachirou) June 11, 2013
@rararanago .。oO(有り体に謂えば、物語を作ることです。もちろん自分の考えを話すわけですから、めぐりめぐって自分自身についての物語ですけれども、行ったプレゼン(劇)自体が、ひとつの書かれた物語に、することができれば、まあ好しとすればいいんじゃあないでしょうか。)
— ももんが連山☆撲滅さっちゃん♬♪♡ (@ne_sachirou) June 11, 2013