c4se記:さっちゃんですよ☆

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自虐師講座:一時間アイスクリーム百年分です #memo

1

〈教える〉と云う事と〈学ぶ〉事は、補うものではない。〈教える〉事と〈学ばせる〉事は等価だが、〈学ぶ〉のと〈教えさせる〉は等価ではない。此れは、教えると云うことは自らに教えることに等しいのではないか、自らに多く教える者は人にも多く教え、少なく教える者は人にも少なく教えるのではないか、と云う事の根拠になる。
教えるのは、関係として規範の知識を伝えることだが、学ぶのは、自己を抽象して表現をえることだからだとおもわれる。

2

〈書く〉と云う事は、時間の外化した言葉である。
「あし」と話す時、我々は「あ」と言ってから「し」と言う迄の、否定の意識を経由する。「あし」と言うのと、「あ…し」とでは、話す意識にとって、違う時間を経過する。
書く時に於いては、此の時間は、意識にとって外化される。「あし」と一気に書く場合と、「あ」の翌日に「し」と書いた場合とは、意識に於けるちがいは捨象されてしまう。否定意識は、「あ」と云う文字と「し」の字の間に、垂直な抽象として残される。