法は、憲法にかぎらず、国家の側を規定するものだと考える。大衆はいつも法とは無縁であったし、いまもそうである。この考えでは、「法律に違反するからやっては駄目だ」という禁止は本質的にまちがっていることになる。わたしは、「法律違反でつかまるからやめておけ」とか「法律違反で裁判でたんまりとられるからやめておけ」と云うくらいの忠告であれば、親しい仲でしたりされたりすることに、別段異論を唱えない。そういったせこさは持っているものだ。法は、国家組織を規定し、あるいは拡大するものであるとかんがえれることができれば、法を楯にした、あらゆる禁止や脅しやおひとよしは意味をうしなう。人民派の知識人が法に「対抗」してみたり、官憲の代理のように私刑をおこなってみせることに、有効な意味をみいだすことは、もとよりできない。