五年前に、課題として提出したふたつの書評。書評の名にかまけた勝手な書き付け。
佐々木俊尚『グーグル Google – 既存のビジネスを破壊する』文春新書 2006
グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 文春新書 (501)
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2006/04
- メディア: 新書
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広告に求められることは、その広告を欲するところの全てにのみそれを届けることである――Googleを中心とした新しいシステムが実現しようとしているのはその事である。そしてこのシステムがもたらそうとしているのは、国家・企業・個人などの階層の言論に於いての平坦化と、アテンション Attention が価値となる経済の構造転換だ。
その根幹には〈検索〉がある。世界の全てのデータをデータベース化し、インデックス化すること。そしてデータと人の関係を取り持つこと。たとえばGoogleのインターネット検索が先ずそれだ。
Googleには二つの主要な収益源がある。AdwordsとAdsense、どちらもキーワード広告だ。Adwordsはユーザーのインターネット検索に対してその検索結果に最適の広告を表示する仕組みであり、Adsenseは特定のウェブページに対してそのページに最適な広告を表示する仕組みである。どちらもそれを見るユーザーが関心を持っている正にその内容に於いて広告していて、広告業として莫大な収益をあげている。ここから必然的に拡張されることは、ある広告が求める関心と、それぞれのユーザーの関心とをインデックス化したならば、Googleが望むシステムが完成するという描像だ。もちろんそれには媒体が必要であり、つまり広告を届けうるユーザーの範囲が広い必要がある。Googleは窓口である。より多くのユーザーがより多くの場面でこのGoogleという窓口を通してデータにアクセスするようになれば、より多くアテンションを誘導できる。ユーザーの志向とデータの提示をしうるかぎり一致させること、Google Newsにしても、GmailやGoogle Reader, Google Map, Google Docs, iGoogle, Google Base, Google Group、そして検索システムも、全てはそこへ帰着する。
たとえばGoogle News。あるアカウントを持ったユーザーがどの様にニュースを閲覧しているかは完璧にチェックできる。そこから特定のユーザーへのニュースの提示の仕方は改善してゆけるし、そこからそのユーザーの嗜好もよくわかるから、他の場所でのデータの提示法にも高度に反映させられる。
また検索の本質はデータベース化と、元のデータ構造とは無関係にまでありうるインデックス化だから、データの作成者の意図と検索の結果とはやはり無関係でありうる。そして検索がデータへの窓口となるのなら、ユーザーによるデータの閲覧行動を作成者の意図によっては直接には制御できないということでもあるし、それがユーザーの検索への「信頼感」へも転化するから、検索がAttentionを制御することもより容易になる。意図的にしろ無意図にしろ、だ。
2007-10-30
高木徹『ドキュメント 戦争広告代理店 ――情報操作とボスニア紛争――』講談社文庫 2005
- 作者: 高木徹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/06/15
- メディア: 文庫
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PR – Public Relations、「広報」と訳すべきだろうか、「広告」では明らかに不足である。このPRを、言論に安定した方向感を指し示すことと定義するのは不適当ではあるまい。
旧ユーゴスラヴィア連邦でボスニア紛争が起きたのは、1992年の春である。ユーゴスラヴィアは軍事力でボスニア・ヘルツェゴビナに勝り、ボスニア・ヘルツェゴビナは正に陥落するかと思われた。――斯くて今、戦争の荒廃に喘ぐのはユーゴスラヴィアであり、ボスニア・ヘルツェゴビナは一時の平和を享受している。この差異は何から生じたのか。その為には情報、事実の構図について押さえるのが最低必要である。それは二元論、関係するかぎりは敵か味方かしかありえない、関係を保ったまま中立ということはありえない、という事実の構図である。
主人公はボスニア・ヘルツェゴビナ外相ハリス・シライジッチ、彼男より依頼を受けたルーダー・フィン社ワシントン支社国際政治局長ジム・ハーフ。目的は、アメリカ等大国へ圧力をかけてユーゴスラヴィアに多大な制裁を、あわよくば軍事介入をさせること、その為の国際世論潮流の形成。この本を読むと世論の形成と言えども、メディアやそれを通して大衆に働き掛けるだけではないのだと解る。世論を形作るのは大衆だけではない。圧力団体へも押しを入れなければならない。また実際に政治をするのは政治家たちなのだし、政治家により世論が誘導されることも充分にある。だから、政治家たちの(選挙などでの)利益がそこにある、それが最も安い方法だと示せれば、あとは向こうが自分で動いてくれる。
その為にこそ、事実を伝えるのだ。PRで嘘を流すのは得策ではない。情報操作の最も効率のいいツールとは〈事実〉なのだ、とこの本は言っている。情報操作とは印象を操作することであり、事実とは印象である、と。ボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラヴィア(セルビア)に侵攻を受け、セルビアが残虐な行為をしているのは〈事実〉であった。セルビアがボスニア・ヘルツェゴビナのモスレム人に対して“ethnic cleansing(民族浄化)”をしようとしていると言うのは〈自由〉であった。個人であれ共同であれ、示されるのは外面だけであって、内面を推し量るのはまったくの〈自由〉であり、その推し量りこそが〈事実〉の唯一だからだ。
この行程に障害がなかった訳ではない。メディアに対しては常に「新しい」情報を出さねばならない。ユーゴ/セルビアの側も反撃にくる。アメリカでビジネスの経験のあるミラン・パニッチ首相は油断ならない相手であった。サラエボから帰ってきたルイス・マッケンジー将軍は無謀に別の〈事実〉を語る厄介者であった。だがこれらは、うまく返せさえすれば、こちらの〈正当性〉を強く印象させられる機会になる。騒ぎが大きくなったほうがうまくした時の利益も大きい、ただしこちらが直接に大きくしてはリスクが大きすぎる、というだけだ。タイミングを押さえることさえすれば。
そしてユーゴは国連から追放の憂き目に合い、その後NATOの空爆に晒されるに至った。
2007-01-18