アンリ・ベルクソン『物質と記憶』斜め読み。ときどきハッとさせられる。

- 作者: アンリベルクソン,Henri Bergson,合田正人,松本力
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/02
- メディア: 文庫
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私は文庫が大好きだ!
さて。
此れを斜め読み乍ら、吉本隆明『心的現象論序説』の初めを読んだら至極解り易かった。偶然だが、友人に貸していたのが「解らん」と言われ戻ってきたので、同時に読んだのだ。
心は〈構造〉として心なのだ。幾ら脳を分析し、其れで意識を記述できたとしても、其れは意味としては意識と同じだが、価値として心ではない。此れが「文学とは只科学の劣った形式」ではない理由である。
ベルクソンの描像は、解り難い分丈間違っている。意識とは、「此れは意識である」と云う意識自体に依って、人間的な段階なのだ。流行りの言い方では「自己自身との差異」と言えば良い。此れが〈価値〉としての心だ。ベルクソンは〈価値〉としての心を語ろうとするが、其れを徹底して〈意味〉として語ろうとするのだ。此所がベルクソンの解り難さと間違いを示している。又此所が、現代の思想がベルクソンを好む所でもある。
因みに『心的現象論本論』で吉本隆明がベルクソンを批判し然し正当に評価しているのは知ってますが、ちょっと阿の身体論は貧弱だと思います。「其れ以上必要無いから手を伸ばさなかった」程度の貧弱さで、不都合ではないのですが。