c4se記:さっちゃんですよ☆

.。oO(さっちゃんですよヾ(〃l _ l)ノ゙☆)

.。oO(此のblogは、主に音樂考察Programming に分類されますよ。ヾ(〃l _ l)ノ゙♬♪♡)

音樂は SoundCloud 等に公開中です。

考察は現在は主に Scrapbox で公表中です。

Programming は GitHub で開発中です。

<span style="color:#FF0000;">行為</span>と<span style="color:#FF0000;">言論</span>はことなる - ポルノ保持違法や人権擁護法案へ向けて

行為言論に関するはなし。 OAF さん「その「少女」は本当にいないのか?」  http://d.hatena.ne.jp/Domino-R/20080314/1205468793

個別的なケースにおいて、ポルノ表現が性犯罪に結びつくことは、あるかもしれないし無いかもしれない。あるいは抑止されているかもしれない。 ただ社会問題としてのポルノ表現とは、それが多量に表立って流通することで、その表現内容が社会的に容認され擁護されているというメッセージとなってしまうことだ。 例えば残虐な暴力表現が規制されるべきなのは、それに直接影響を受けたバカモノが同じ行為に至る可能性があるからではなく、そのような行為が一定の社会的合意を得ているものだと受け手に伝わってしまう効果があるからだ。 「児童ポルノ見てる奴は異常」とかのネガティブなイメージの流通は「差別」を助長するので好ましくないと思うが、一方児童ポルノがネガティブメッセージを伴わず表立って流通するなら、それは一体何を助長する効果があるのか、まったく考えないのだろうか? <<

そのような表現が性暴力の対象にしているカテゴリは「少女/幼女」であって、これは 2 次とか 3 次とかいう問題ではない。 社会的に「少女」というカテゴリは存在し、それに対応する 3 次の少女達は実在する。というより「少女」というカテゴリ概念自体がこの実在する少女達と切り離して考えられないし、2 次元の表現も、この「少女」という概念自体の(暗黙に?)含意する少女達の現実の性的身体を前提にしている。(無論見る側もこれに対応し、自らの現実の性的身体を切り離さない) 「少女一般」という人物が実在しないからといって、「少女」が存在しないわけではない。具体的な誰も名指さないからといって、誰も名指していないわけではないのだ。 そして「少女が性行為を強いられる」というコンテクスト自体がどのようなメッセージを伴って社会的に流通してしまっているのか、ということが問題で、絵であるか写真であるか演じられているかなどどうでもいいことだ。 << もちろん反対するために引用している。 はっきり主張しなければならないことがある。 +表現(布教)思想はことなる。 +行為言論はことなる。 なぜなら思想や言論は生活ではなく現実だからだ。これは経験則だが、生活史と思想史は完膚なきまでに反する。できて平行だ。 本気でしつこく言うが、人は行為によって罰せられても思想によって罰せられる事は断じてならない。

よもぎねこさん「差別権は基本的人権です」  http://yomogineko.iza.ne.jp/blog/entry/495651/

もともと近代民主主義国家で定められた平等とは、封建的身分差別を国家が行う事を許さない為で、個人生活に介入する為ではありません。 「権(ママ:「人権)とは国家権力から個人を守る為の物で、個人への国家権力の介入は出来るだけ避けるべき」と言うのが本来の人権擁護です。 ところが法の下の平等が確立して以来、この平等が国家や法から、個人同士の関係に入り込み、今は個人の人権、個人の自由や尊厳を脅かしています。 これは絶対にオカシイ!! 国家の義務、国家の法と、個人の生活や個人の精神が同一視できる訳が無い。 単なる一般道徳を国家が個人に強制していい訳が無い。 私達は長い間、差別の意味も定義も曖昧なまま、差別は悪だと教えられてきました。  でも違います。 例え差別が道徳的に悪でも、これは人間の持つ権利です。 私有財産を貧しい人に与えるのは、道徳的に善ですが、国家が個人にこれを強制する事は許されません。 同様に個人間の差別を、国家が禁止する事は、許されません。 私は信じます。 差別権は基本的人権です。 << 同じく「人権と言う化け物」  http://yomogineko.iza.ne.jp/blog/entry/494071/

「刺青お断り」は人権問題では無い!! 「外国人お断り」は人権問題である!! 銭湯の主人の生存権は人権では無い!! と人権擁護局が言う理由は簡単です。 小樽の花の湯で入浴を断られた事を人権侵害として、裁判を起こした男がいるのです。  結局この騒ぎで「外国人お断り」は人権問題となりました。 つまり騒ぐ人権だけが人権になるのです。 そしてそれにぶつかる人権は抹殺されます。 << 思う、自然権の考えはもう無効なのだなと。 「化け物」というとリヴァイアサン Leviathan を思い出す。もちろんトマス・ホッブスリヴァイアサンだ。「人権」は自然権であったが、これの分配のために、国家という怪物に自然権流通を収奪させよ、というのが社会契約の考えだ。その人権が化け物となる、と、自然権という考えはおかしなことになる。「自然状態」とは理想状態のことだからだ。これは国家という共同のありかたが無効になっていると言っても同じことだ。「人間の死」と言ってもいい。 以後は前からの繰り返しになるので省く。 (「いま「人間」は、如何に居るか - mixi のとか、SNS とか」http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080315/1205507745) (「理想は……。(存在倫理)」http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080218/1203312982

人権擁護法案反対 「アニメ・漫画・ゲームも「準児童ポルノ」として違法化訴えるキャンペーン MSとヤフーが賛同」  http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080312/1205268075