c4se記:さっちゃんですよ☆

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Crain休眠の儀に就いて、メンバー達は何を考えたか残しておく

Crain休眠の儀に就いて、メンバー達は何を考えたか残しておく。
[*Lotus Gate Blog:Crain休眠の儀 "shiptip" http://blog.livedoor.jp/lotus_gate/archives/1483294.html ]
[Crainは失敗である - c4se記:さっちゃんですよ☆ http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/08/30/001628 ]

はじめに、Crainとは何であったか。

井上幸亨郎2012-02-19
先ず今回のproject名SpinorNetworkの意図の前に、Crainと云う組織に就いてお話しましょう。
Crainの前から、私がシキとFuniSayaと云うprojectを行なっていたのは知っているでしょう。そもそもc4seと云う組織が有りました。c4seは大分と昔から有りましたが私がシキとつるむ様になってからはシキと二人で主に詩と思考表現を、私の見に自由が増えてからは、橘榛名を加え、全般の表現活動を行なっておりました。そして遂にシキが詩以外の活動をする様になり、絵や小説などの為に新たに芙爾沙夜のペンネームをひねり出したのです。その時に出来た名称が*Lotus Gateでした。*Lotus Gateは同人誌(らしきもの)を発行する母体として発生し、現在迄1とV2を出しています。ちょうどその頃、私が橘榛名と出会った頃ですが、井上幸亨郎一人で音楽制作を始めました。約一年後、シキが加わり、私は力量を判断し、シキを主体とすべきだと決定しました。これがFuniSayaです。
c4seはそもそも一定のマネジメントをもった組織ではなく、各人が勝手に表現活動を行う、その発表を場をc4seとして取りまとめると共に、c4se組員同士の合作を行う場でありました。其れは「仲良し会を行なってはならない仲良し会」でありました。故にc4seは同人ではありません。c4seは表現上の趣向によって集まったのではなく、出来うる限りオープンな組織をどうすれば実現できるかを確認する場なのです。c4seの第一条には此うあります。「自由に脱退を行える」。此れは見かける以上に厳しい条項です。我々は普通、同じ組織に属する者と外の者とを区別します。これは普通であり、c4seでも同様です。組織の存在意義です。しかし我々は、組織から脱退した者と、一度も脱退したことのない、即ち一度も入会したことのない者を区別します。此れを禁止するのがc4seの条項です。然して実は、組織に於ける言論の自由の最大条件です。
FuniSayaはc4seの一projectとして存続しました。存在形態はc4se自身とは異なります。シキがリーダーであり、私がマネージャーです。此の形態を保てなくなれば、解散すればいい、と考えるからです。音楽と絵のprojectとして存続しています。FuniSayaのpixivも、原型は井上幸亨郎が作って仕上げをシキ、と云う絵が多いのです。どうでもいいね。
FuniSayaでこだわったのは、洗練されないことです。曰く、街中の素人を突如捕まえてFuniSayaに放り込んでも、一切の過不足無きよう。玄人になってはならない。通常がどうであるかは知っています。出来ることを増やせ、手持ちの可能性を広げよ。然しFuniSayaでは、逆を行いました。禁則とせよ。可能性を無くせよ。偶然にてものを作るなかれ、必然にて行えば、極限には一通りに定まる。必然を行え。そして現状は理想ではない。故にやることではなく、やり方を変えねばならぬ。真理は段階的である。此れは武術にと等しい考え方です。FuniSayaは音楽集団ではなく、思想活動を音楽として行なっていたのです。
Crainでは、私は必然でない事もやってよい、と定めました。再帰的で申し訳ないのですが、これ自体が必然の一つです。FuniSayaが一つの顕現物である以上、全ての必然を収めきれるものではなく、「まるで」必然を外れることも要るのです。その為に先ず考えたのが、他の人を誘う事でした。掲げている「The pseudo Pop musics偽大衆音楽」こそがCrainの設立理由です。私とシキは既に手馴れていました。この手馴れを外れるのは一方ならぬことです。残念ながらこの手馴れは、大衆的な場への資質的な拒否を伴うものです。しかし私は、大衆的なものが大きな、とても大きな現実的根拠を持っているのを知っています。FuniSayaが洗練されぬ様気をつけたのも、この現実的根拠から離れない事を心がけたのです。我々は思想の練度に於いて、既に大衆から遠く離れているのですから。しかしFuniSayaが出来たのは其所までです。違うことをせねばなりません。そこで私は、音楽的に感心する所のある村瀬悠太さんとふぃねさんのお二方をお誘いしました。この時の目的は、AnsientCitizenにて達成されたと言えます。The pseudo Pop musicの方を向く事は完了しました。ここから進むには、また別のことをせねばなりません。
本来Crainの組織形態は以下のものでした。井上幸亨郎がマネージャーであり、リーダーは居ない、此れは個人の集まりであり、統一した組織ではない。即ち組織目標が複数あって好いとしたのです。此れは人数が少なく、マネージャが強固な思想を持っていれば、実現可能です。ところが放おっておけば勝手にやる、と思っていたのが間違いでした。私は自らのイメージリソースを明かさなければなりません。そして各人のイメージリソースを明かさせなければなりません。これらは私が意図的にやらなければならない事です。全く私の過ちでした。
そろそろSpinorNetrowkに就いて話しましょう。今回のprojectが終わり次第、Crainは一度解散します。直ぐに再結成いたしますが、違った組織に成るでしょう。SpinorNetworkが続いている間、Crainは其の新しい組織に近づいてゆくでしょう。
SpinorNetworkの当面の目標は2つです。Crainの既存資産を吐き出す事。5月初めのイベントに向けて楽曲を制作し、一定のプロモーションの下で配布すること。此等の目標は既に伝わっていると思います。
AncientCitizenでは、FuniSayaでは隠し持っていた物語性を形として、表に出しました。SpinorNetworkではこの物語性をまた裏へ隠します。しかしwebサイトの見た目などから、何か物語性が有ると云う予想はたつはずです。今回の物語は、或る物の形態がNetworkと成る、と云う事です。或る物には任意に入れて下さい。組織形態が、曲集の形態が、夕食の形態が、何でも結構です。夕焼けの形態がNetworkと化しても構わないのです。今は未だ既存のCrain資産を吐き出している所です。さっさと作業しなきゃ、な。
試みに「Residents住人」と云う事を行なっています。なるべく音楽の素人さんを誘って、音楽を作って頂きます。既に同意いただいた方々が、membersの頁に載っています。おそらく此の方々の楽曲は、イベントでは配布されないでしょう。しかしプロモーションの一環には含めます。
さて、質問をどうぞ。全部そちらが堪えられなく成る程に答えます。

村瀬悠太の考え。

村瀬悠太2012-08-30
Crainが終わるらしいの最後くらい何か書きます。
Crainに参加した理由としてFunisayaのお二人に誘って頂いたということもあるのですが、一番はお二人の音楽に、表現に、考えに興味があったからです。
創作を始めてまだまだ歴が短い自分にとって、触れる機会のなかった表現の形はとても刺激的なものでした。Ancient Citizen、cpVine、SpinorNetwork2では自分なりに違った表現の仕方を探して音楽をするのは楽しく、また勉強にもなりました。
結果としてCrainは「失敗」だったかもしれませんが、一個人としては「成功」でした。表現とは何か、について考えるいい機会を与えて下さった井上幸亨郎さん、麻井シキさん、そして一緒に活動したふぃねさんには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。
後悔というか、もっと出来たかもしれないのに、ということも思い起こせばありますが、今の自分ではこれが限界なのかもしれません。また時間を置いて、ちょっとコイツ誘ったら面白そうかな、と一瞬でも思ったら誘っていただければと思います。逆にお誘いするかもしれないので、その際は覚悟していただければ。
Crainは不可逆。そこにおける体験は可逆。
ありがとうございました。

返答
井上幸亨郎2012-08-30
Crainが所定の目標(pseudo Pop musics)を達成したと考えます。私の言う「失敗」は、一切メンバーのせいではありません。所定の目標が間違っていたのです。pseudo(偽)と云うところに最大の比重を、わたしの癖で置いてしまい、FuniSayaと大して変わりのないことをやってしまいました。それこそ「表現とは何か」に関するわたしの考えが、未だ甘く、未だ馬鹿げているほど間違っている、と云う事です。
たしかに、徹底してやることが足りなかったかもしれませんね。しようと思えば徹底できるわけではありませんので、手を動かして考え続けるしかありませんね。
個人的にはFuniSayaを今まで通りやりますし、それとは別に、少しテクノとは離れたことをやってみて、この正体を探ります。あきたらまたCrainを復活します。同じ事ばかりやってると、飽きますからね。
復活したCrainがどうなるかは、そのときにならなければわかりませんので、まぁそのときはそのときでヽ(l _ l〃)ゝ✧
まぁ誘ってください。手がある限りお答えしましょうヾ(๑╹◡╹)ノ"♡

ふぃねの考え。

ふぃね2012-08-30
ここで僕も便乗してかかせていただきます!
小学生みたいなしょうもない感想ですけど、本当に楽しかったです。みんなでわいわいがやがややるっていう楽しさも好きですが、それよりもCrainのような未知の世界(僕の中では)に触れられるという楽しさが大好きでした。Crainでやることひとつひとつが新鮮でアクションが起こる度にわくわくしましたし、僕も新しい事に挑戦できたのでとてもいい刺激になりました。 ただ悔やまれるのは受動的にしか動けなかったことで、部活を言い訳にしたくないのですがもっと時間があればもっといいことができたのかなぁ…と…。でもこういうことに気づけたのは大きな進歩なのでこの経験を活かして今後活動できたらなぁと思います。
…と、こんなちらかった堅苦しい(?)文章になってしまいましたが、とにかくCrainで活動できて、いい経験をたくさん得られました!Crainの活動にわくわくしていたので、これで終わると思うと名残惜しいのですが、また機会がありましたら誘っていただけたら嬉しいです。幸亨郎さん、シキさん、村瀬さん、ありがとうございました!

返答
井上幸亨郎2012-08-30
Crainが休眠する(解散は無い)といっても、私が消える訳でもFuniSayaが無くなる訳でもFuniSayaが音楽作るのを止める訳でもありませんから、私がリーダーとしてやるグループではちょっと他の事をやるよ、と云う丈の話であり、あまり大きな変化でもないと思うのです。今生の別れでもありませんから、生き永らえますから。
当初の予定では、みんな勝手に音楽作るから、勝手に音楽は溜まるだろうし、たまったら曲集でも出そうか、と云うことだったのですが、溜まりませんでしたね。たまに二時間で一曲作って、ボツ曲溜めへ放り込む練習をしています。「練習」と云う程意識的にやっているものでもありませんので、手が動いてるから結局は練習とでも呼べばいいだろうと云う惰性です。惰性好いですよ。惰性無くて修練はありませんし、惰性(慣れ)をうまく保つことは惰性ではできませんから。
もうひとつ第一Crainに問題があったとすれば、音楽はみな作れるけれども、システムは私しか触れないし、物語は私とシキしか触れなかったという事でしょう。得手不得手は計算にいれなければなりませんが、みなが出来るといいのです。個々人による形式のちがいはあるとして、Crainの様な集団ではメンバーは互いに交換可能でなくてはならないと考えます。FuniSayaのやることは、断言してもいい、形式のちがいはあれ誰にでもできる、と云う考えでやっていますから、専門家にならないようにしているのです。みながみな然う云うやり方をすればいいと考えるのではなく、FuniSayaはたまたま然う云うやり方をしているのです。
じゃ、みなで第一Crainへ、「またね」と別れの挨拶をしましょう。Crainここに眠る。起こす時は緑のボタンを。
またね。