2012-05-22
1
全体として連続を把握できない部分の集合を、心的なものとみなさなければならないとき、わたしたしはそれを「無意識」とよぶ。
人間が類的存在であるというのは、現在が普遍的な層に於いてあるということである。現在から普遍へとはせのぼってゆくときに、おおくの集合的な層をとおってゆかなければならない。意識の時間が複線的であるということの意味だ。
cf. [死に瀕した者を目のあたりにすると #memo http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/05/11/212648 ]
[すぐ世界同時性とか主体の構造とか表層とかいいやがる #memo http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/05/22/115433 ]
2
作品が作品以外の文章に対立するとは、作品以外の文章が作品の剰余ではないという関係を指すので、つまり価値の秤量を云っているのではないという、それだけのことである。
文章はこの上なく明快だが、その明快さが、雲を掴むような明快さである。何処かで作者が身を交わしているような不安がしてならない。
3
死に瀕した者に就いて