c4se記:さっちゃんですよ☆

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c4se

希望だぁ?

 http://d.hatena.ne.jp/kagami/20080304
ロリコンファルさんのふぃーどをリーダーに登録した直後にこれを読んで即刻リーダーから削除しそうになった。が、いままでちょくちょく読んできていたので残しておいた。適当なこと言っといてそりゃねぇぜ。誰がそんなこと書いてるよ。視点というものを考えて人の文章読みな、或いは書きな。
関連で、
同じく「もういいかげん、自らの邪悪を資本主義の神を持ち出して正当化するのはやめて…。」
 http://d.hatena.ne.jp/kagami/20080304#p1

「俺の前に困っている人がいる。だが俺はこいつらを見捨てる!!
それは俺が偉大にして絶対なる資本主義の神に帰依しているからだ!!
資本主義こそは絶対!!最高!!理想!!完全!!全て正しい教え!!
だから資本主義の神の教えに従い弱者は見捨てるべきなのだ!!
よって俺は目の前にいる困っている人を見捨てる。それは資本主義の
教えに従った正しい行動であり正義にして善!!逆に困っている人を
助ける輩は資本主義の教えに背く悪魔だ!!許せねえ悪魔ども!!」


というような思考を一部極端な資本主義信者はしますが、いいかげんこういう、
自らの邪悪を資本主義の神性を持ち出して正当化することは止めて欲しい…。
例えば上記の例ならば、目の前にいる困っている人を見捨てたとき、そのとき決して
正当化できないことをやっているし、それを誤魔化すために資本主義の神にすがって自分の
為したことから逃げるのは、最悪すらも超えている、もうどうしようもなく終わっています。

こういうわからない言いになるのは側面しかみていないからです。ロリコンファルさんの尺度が才能で、資本主義信者の尺度が努力だったら、話になりません。
才能と努力に関する理論・接続点を作ってから書かれてはいかがでしょう。
金を尺度とする赤木智弘さんのがよっぽど好ましいですよ。そしてこれは、私が表現できていない視点でもありますから、彼男にはもう少し貧乏でいてもらって、考えてほしいです。どうあがいても、生活史と思想史は折り合わないのですから(私自身、そうだ)。
同じく「「自然は弱肉強食」は本当に真理なのか −未完の希望を信じること−」
 http://d.hatena.ne.jp/kagami/20080305

自然は、恵みを与えてくれる。それは弱肉強食とは何も関係ありません。
人間以外の生命は、その贈与を贈与として受けとっている。
人間以外の生命は贈与を受け、生きるために食べ、生きるために戦い、そして死んで行く。
人間だけが、「それ(贈与)を使い切ろうとする」。自然の贈与を使い切ろうとして、
文明を発展させ、戦争を起こす。だけど、人間の作り出す文明とか弱肉強食とか戦争とか、
人間が「自然の恵みを使い切ろう」とすることによって作り出してきたもので、
別に自然が「文明や弱肉強食や戦争を作れ」と人間に命令した訳じゃない。自然はただ黙している。


ここでバタイユは考えます。だったら、今とは違う生き方、今とは違う世界、
弱肉強食や戦争の惨禍を抑えた世界だって、人間には可能かも知れない。
人間の自然が動物性としてあるならば、人間は動物のように生きられる。
だが、人間の自然は動物性としてはない。人間の自然は、意識の可変性、
変えて行くことにある。それが、「自然からの贈与を自ら使いきろうとして闘争する」
ではなく、「自然からの贈与によって生命みなで楽しむ(快楽する)」であれば…!!
そういった、かすかな希望を、抱いた人です。

自然は恵みを与えぬ。価値を自然は創出せぬ。バタイユ風に言えば、消尽が価値を源産する。
自然はただ黙している。
人は自らを第二の自然とする。内側に自然がある。これは、自然 - 植物 - 動物にはないことだと、言えばいい。
言えばいい。

今回は、本当にけなしてばっかりですね……。
参考に
reoponさん「召還していないのにマッチョマンから応答が届いたので、せっかくだから質問します」
 http://d.hatena.ne.jp/repon/20080304
もどうぞ。