c4se記:さっちゃんですよ☆

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Salvador de Madariaga y Rojo「情熱の構造 イギリス人、フランス人、スペイン人」1928

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表題のイギリス、フランス、スペイン三國はどれもヨーロッパの端で太平洋に面してゐる。私はこの三國について、日本から見てユーラシア大陸の逆の端に在る事、イギリスは獨立指向が強く、フランス南部とスペイン北部は權威指向が強く、フランス北西部とスペイン中南部は平等指向が強い事くらいを知識してゐた。Madariaga さんのこの本をやはり古本市で見掛け、イギリス・フランス・スペインが綺麗に行動・思考・情熱と對稱型を成してゐしかも完備な圖式を描いてゐる點を奇異に思った。私だけが關心の有る點としては、fairplay・法 (le droit)・名譽 (el honor) 等の、狀況を飜譯する語彙を stock したいと思ってこの本を買った。僞善や élite といった觀念にすら、一種類ではなく三種類の飜譯語彙を、卽ち逐語譯される同じでない異なる語彙を當て嵌められるとは、私の想像しなかった光景であった。

Gilles Deleuze「ザッヘル=マゾッホ紹介」1967

Marquis de Sade「閨房の哲學」1795 - .。oO(さっちゃんですよヾ(〃l _ l)ノ゙☆)を纏める途中でこの本を思ひ出し、讀み返してみたら存外に面白かった。少なくとも私はこれを讀んで、2022-04-18~24 週に得た事 : 不可避・不可能、一義・數多、絕對・被關係 - c4se記:さっちゃんですよ☆で組んだ表から自我と無意識とを切り離す決意をした。違ふ事を考へるのは樂しい。

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Hans Jonas「グノーシスと古代末期の精神」1934

Hans Jonas さんの名はJean-Pierre Dupuy「ありえないことが現實になるとき ――賢明な破局論にむけて」2002 - .。oO(さっちゃんですよヾ(〃l _ l)ノ゙☆)で「責任という原理: 科学技術文明のための倫理学の試み」の著者と見知ってゐたゐた。東京は目黑の古本屋でこの「グノーシスと古代末期の精神」を見掛けた時、この人はこんな本も書いてゐたのかと思ひ、分厚さと見知った名の譯者に惹かれて購入した。

グノーシス (γνῶσις) は、永らく續けてゐる人類の思想の蒐集の、對象の一つとしてのみ關心を持って來た。しかし一般に輕んじられてしか論じられないこの對象は、知られざる考へに留まってゐた。私はこの本を讀んで、グノーシスに就いてわかった氣になった、少なくとも入り口の鍵を得た氣になった。グノーシスの鍵を開ける本だと思ふ。

內容に就いては Scrapbox に纏めたのだからいつもの如くここには記さない。そもそも內容を知りたければ本を讀めばよい。

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John McTaggart Ellis McTaggart「時閒の非實在性」1908

永井均さんの、問題の獨特の立て方に惹かれて、McTaggart さんの論に對する註釋と、手持ちの資料から類似の議論とを纏めた。

永井さんの問ひは、昔に私が〈此の經驗〉を〈處〉に迄切り詰めた揚げ句に諦めたものだった。永井さんも、獨在だけではなく、世が成り立っている事とで挾み合はせて、問ひを問へるものとして成立させてゐる。挾み合はせる爲に汚染し合ひ、除染する爲に新たな槪念を開發する事が、思考の道行きになってゐるのだと思ふ。

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Влади́мир Ильи́ч Ле́нин「國家と革命」1918

表題の「國家と革命」は眺めてしかゐないから、この纏めは未完のレーニン 〈力〉の思想を読む (講談社学術文庫)新版 はじまりのレーニン (岩波現代文庫)を流し讀んだ纏めになる。

ヨーロッパと日本での近世つまり 17 世紀以降で、自然科學屋の外で唯物論を、名を冠しただけでなく本當に唯物論をやった者は、管見の限りでは世界を見ても Sigmund Freud さんと Влади́мир Ильи́ч Ле́нин さんの二人しか知らない。この觀點で今は Ле́нин さんに關心を持ってゐる。

社會に對する Ле́нин さんの解は、第一次大戰前後當時のドイツの帝國主義的な市民社會を主に觀察して煉り上げたもので、かつ當時のロシアの基盤の上で意義を持ったものだ。今では各國の社會がもっと多くの隘路を例示しているから、それぞれに對應した解、しかも現在に各隘路が同時に在る中での解を考へねばならぬ。だがそもそも Freud さんや Ле́нин さんの考へは日々の暮らしを勇氣附けかつ掣肘するもので、たぶんかういふ側面を輕んじる事は社會の階層をより極端に分ける樣に働く。

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