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<span style="font-size:large;">騒げ!!</span> - 「人権」とか「差別」に関して(for よもぎねこさん)

よもぎねこさん「徳政は成功しないのにねぇ - 諸国家 vs. 諸個人(よもぎねこさんに宛てて)」コメント
 http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080320/1205969822#c1206018228

どうも私に教養が無いのがイケないのです。 つまりボッブスとかの本を読んでいないので、貴方の仰る事が理解できないのです。


でも簡単に言えば人間関係とは差別で成り立っているんです。 誰かを好きになるとは、他の人とは差別する事です。
好きな人に合えばうれしけど、それ以外の人ならどうでもいい。 これは差別です。
だから全ての人を等しく愛したイエス・キリストは、久しぶりに我が子に会うため遠路はるばるたずねて来た母マリアに
「女よ、私はお前を知らない」と言いました。 神様は人間を差別しないので、生母と言えども特別扱いはしないのです。
これが人を差別しないと言う事です。 これは人間の出来る事ではありません。 してはイケません。


本来、民主主義社会で最も重要な概念である人権が化け物になったのは、「差別」が人権問題になってからです。
法の下の平等が保証されれば、それ以外は個人の責任で負うべき、生存競争の問題を「差別」を持ち出して、
個人の精神の自由を侵害しようとする人間が出てきたからです。
そして厳密な検証もされないまま、「差別」と言えば他人の人権を踏みにじる事が正当化されるようになったのです。
早くこの風潮を止めないと大変な事になると思います。

このブログはかなり雑に書いているので、確かさより量を重視していて、予備知識がなきゃ読めない文章になってるのは事実です。時々完成する文章にここでのエッセンスが繋がっていたりするので、そちらを披露できるよう書き進めています。


さて、よもぎねこさんのコメにはあいかわらず僕は賛成です。これは変わりません。
一文にすれば、いいことを臆面も無く言う輩は信用がならねえ、ということになる。「いいこと」というのはもちろん社会が正当化してくれることで、正統性の上に乗って安然としている者を信用しろというほうが無理だ。
宗教では浄土系の考え方をわたしは注視しているが、それはいいとして。


騒ぐ人権だけが「人権」である。
差別とは生きる為の仕組みですね。差別したくなければ死ぬしかない。でも死ぬことも行為だから、死んだ後だけが差別無き状態です。
――無意味ですね。
騒ぐ差別だけが「差別」である。
そのとおりですね。この社会では表明することだけが存在することである、民主社会ではそれは当然です。しかし問題は、或る表明に対してそれに反する表明を認めない、圧搾する状況です。初めから結論が決まっているものは議論とは言わない。
だから騒げ。 騒げ!!
圧搾されてもいい。騒げ! 存在しないよりは少しは出た方がいい。
圧迫を恐れるのはいい。
ぎりぎりまで黙って我慢する成熟した智恵も悪くは無い。それは一つの美徳だ。
だがもっと若くなってもいい。うるさくしてもいい。薄暗く騒ぎ立ててもいいだろう。
それが民主社会だからだ。


c4se記「徳政は成功しないのにねぇ - 諸国家 vs. 諸個人(よもぎねこさんに宛てて)」
 http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080320/1205969822
よもぎねこさん「国籍は血統書でも原産地証明でも無い」
 http://yomogineko.iza.ne.jp/blog/entry/514473/