資本制の撤廃を最終的な前提としない賃上げは、畢竟賃下げに過ぎない。
管理職や精神労働者はプロレタリアートであるのに、ブルジョアジーとして行動し思考する様要求される。これは矛盾でなければならない。勿論ブルジョアは自らに課してゐるのと同じことを、管理職やプロレタリアートにも要求してゐるに過ぎない。自分がブルジョアだと信じきってゐるプロレタリアも沢山ゐる。これは元々プロレタリアは工業労働者の概念であることと、ブルジョアやプロレタリアは関係概念であって、同じ人物がどちらも兼ねるのはよくあることなのだと云ふ点をとことん曖昧にしてきたことに依るのだ。
労働者が自明のように財産を私有するやうになった、資本制の成果と資本制生産の余剰の罠である。