c4se記:さっちゃんですよ☆

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恋愛

plaisir.genxx.comさん「独身女性の性交哲学 / 山口みずか」
 http://plaisir.genxx.com/?p=194

「恋愛とはこれらの六要素を点数化したときの総合得点が高い時に発動する男女一体化幻想のことである。人によって、この要素のどこに重い比重をかけるかは異なる」。これは的確な指摘だ。そして、6.激情ゲーム要素が、それぞれ独立的には必ずしも恋愛独自ではない1〜5を恋愛に統括する。つまり、「ご飯をおごってほしい(5)し、友達はみんな彼氏持ちなのにあたしだけ恋人いないとかヤバい(4)し、たまにはセックスしたい(2)し、癒されたい(3)し、彼氏と一緒にいるときは楽しい(1)し」…というように、本来5つの欲望が複合しているのが恋愛の真の姿なのだけれども、わたしたちは自分自身のエゴイスティックな欲望をきちんと直視せずに、「だって好きだから」(6)という言葉で己の欲望を正当化してしまうのだ。

この指摘は鋭い。【受け身のままでわたしをまるごと愛して】という願望は、実は【俺の女は俺のモノだから好き勝手に扱っていい】という価値観と対を成している。両者は相補的だ。一方で「心のつながりがあるセックス(=愛のあるセックス)」を求めておきながら、実際には「受け身(=マグロ)」のままで快楽をむさぼるなんて、虫が良すぎるにもほどがある。セックスだけではなく、普通の恋愛の場面においても、これは当てはまる。「わたしをまるごと愛して!」と相手に丸投げしておきながら、にもかかわらず「わたしの望む形で愛して欲しい」なんて、甘え以外の何物でもない。「まるごと愛して」と言うならば、どのように扱われても(「おまえは俺様の所有物」扱いされても)文句はいえないはずだ。

彼女は、このように女性自身にも厳しさを求めていて、「あたしをまるごと愛して」的な願望を激しく攻撃している。なぜか?それは、自分の人生を切り開くのは他ならぬ自分自身であるからだ。セックスの泥臭い技術にすら、自分自身でちゃんと向き合っていかねばならないのだ。彼女は基本的に、エーリッヒ・フロム『愛するということ』の枠内で論じているのだといえよう。愛の問題が、愛する能力の問題ではなく、どうすれば愛されるかという問題として捉えられてしまっている現状に、セックスを通して警告を発しているのだ。そして彼女の主張には、自分がつねづね提唱している「持続可能なエゴ」という概念がぴったり当てはまるように思う。

前に自分で書いたことだが、
井上ネム「考えることに就いて」2007-9-28 - 2007-10-11
 http://c4se.sakura.ne.jp/ne_KangaeruKotoniTsuite.xml (IE禁止8を望め)

たとえば極端な状況として恋愛の悩みを考えているとする。ここで自分に、恋というのは強迫神経症の一種であると言ってみても、それが正しいとしても詮のないことだ。むかしこういう説を唱えていたこともあったが、役に立たないし面白くないという理由で捨ててしまった。せめて恋愛とは相手への期待であり、どうしようもなく偶然に始まり必然に続き不可避に終わる、ぐらいは最低いわねばならない。そして恋とは本質で片想いであり、それゆえに絶望でしかありえない、もし両想いなぞというものがありうるとすればそれはどちらかの片想いが相手の偶然をこちらへ向かせた時だけだと、相手をまず恋愛の対象として認めるのが最初の条件であり、それまでの感情は尊敬かも可愛いなかも無関心かも反発ですらあるかもしれない、だから恋愛の最大の条件に「(地理的な)近さ」は必ずあるのだと、相手の存在自体に恋するなぞは、どうしようもないという点でたしかに恋の本質に沿っているが、それゆえ相手の一切が想いの内実にかかわりが無いのだから相手に対する失礼さでは極めつけで、恋に於いて相手の何が好きだとかは全て後付けにすぎず、可愛いなとかの感情を恋だと取り違えているほうがまだ相手を見ている点でずっとましだということ、惚れることと好きになることと恋愛の対象と認めることとは全部いつも別々にやってくるほかはない、など。

plaisir.genxx.comさんの「持続可能なエゴ」という概念が恋愛の役に立つことは、余りない。
ま、「恋というのは強迫神経症の一種である」の説は最近復活しつつあるけど。だから役に立つ時がくればまた思い出して取り上げるかもしれない。
本質」にかんする所はいま書き書きで取り扱ってるし、「惚れることと好きになることと恋愛の対象と認めることとは全部いつも別々にやってくるほかはない」は捨てられない。