c4se記:さっちゃんですよ☆

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HAL東京でのいじめの報道に就いて

cf. 東京モード学園、学生いじめ問題で責任逃れに終始~問題行為認めるも「仲良い関係」と主張(1/2) | ビジネスジャーナル http://biz-journal.jp/2014/01/post_3782.html
cf. 東京モード学園コンピューター専門学校HALでイジメ発覚・・・学校統括者・永来真一「加害者側が『イジメはコミュニケーション』て言ってるからイジメとは断定できないよね」と責任回避:ハムスター速報 | 360°News http://360news.jp/news/129662

コンピューター専門学校のHAL東京であったいじめを、学校側が揉み消さうとしてゐると云ふニュースだ。どんな横槍の義務感もない。こんな一例を取り上げるのは、わたしがHAL東京の現役の生徒だからだ。
このニュースを知って、おれは心底残念におもった。まず、わたしは事実を確かめうる立場にない。教師にきけばわかるかもしれないが、わたしは教師と仲がよろしくない。ニュースとしては以上の一つしか発表されてゐないし、各所にlinkが掲載されてゐた「村上烏龍」と名乗る「父親のblog」なるものも消えてゐる。「父親のtwitter account ( twitter:@uronmurakami )」も消えてゐる。また「父親とHAL東京側との会見の動画」なるものも、転載されたものもふくめてすべてが消されてゐる。動画は消されたものだが、blogやTwitter accountは消したのか消されたのかわからない。HAL東京やその親にあたるモード学園は、なにも広報をだしてゐない。正常にいへば、これはデマだらうとかんがへるべきだ。
だがもうすこしこの「事実」を追い掛けてみる。
「父親のblog」なるものの一部はInternet Archiveに残ってゐる。記事は最後の3本以外は全て読める。
cf. 子供のケンカやイジメに、親が出るのは、どうかとは思うが…。 http://web.archive.org/web/20140119035830/http://casefile.blog.fc2.com/

cf. 子供のケンカやイジメに、親が出るのは、どうかとは思うが…。弁護士が訴えてくるらしい http://web.archive.org/web/20140119041241/http://casefile.blog.fc2.com/blog-entry-24.html
cf. 子供のケンカやイジメに、親が出るのは、どうかとは思うが…。HAL東京の代理人から、速達が届いた。 http://web.archive.org/web/20140119041124/http://casefile.blog.fc2.com/blog-entry-36.html

blog記事の削除依頼が出てゐたと云ふtweetは見附かる。
blog記事中の書面にでる、今川橋法律事務所の三ヶ尻一郎なる弁護士は実在してゐる (登録番号 No.34193)。
cf. 三ヶ尻 一郎 弁護士(今川橋法律事務所) - 弁護士・法律事務所データベース http://www.hou-nattoku.com/lawyers/lawyer_detail.php?lawyer_id=34193

cf. 子供のケンカやイジメに、親が出るのは、どうかとは思うが…。みなさんのコメントについて http://web.archive.org/web/20140119041243/http://casefile.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

またblog記事や「会見動画」を見たらしき人の発言も見附かる。
またこの「父親」なる者のTweitter accountに向けたreplyも見附かる。

cf. 村上烏龍(uronmurakami) - ヒウィッヒ・ドットコム http://hiwihhi.com/uronmurakami

cf. @uronmurakami フォローありがとうございます。私は同校ではありませんが似た様な学部の専門卒です http://tm.xtw.me/msg/rNbPQ3
2014-01-11 14:20:31
@uronmurakami フォローありがとうございます。私は同校ではありませんが似た様な学部の専門卒です。
厳しくも仲間に囲まれた楽しい学校生活だったので、それができない息子さんの事を思うととても悲しいです。

村上さんがどこまで公的手続きをされたのか定かでは無いですが、個人お一人で戦わず法務省の人権救済の手続きをし、必要ならば告訴をした方が良いと思います。
学校も対個人だから何とかなるとどこかでタカをくくっています。
自称顧問弁護士という方が出てきてる以上、公的なもので武装する必要があると考えます。
(また村上さん自身も感情的に対処する場面と、今以上に冷静かつ気丈に対処する場面とをきちん線引きする事も。
もしかしたらモンスターでも良いと思うかも知れませんが、それでは事態を知った人に誤解を招く恐れがあります。味方は多いに越した事ありませんよ。)

27才で専門学校へ入るというのは相当な覚悟を持った意識の高い人か、何か大きな問題を抱えた人です。加害者の方は後者だったんですね。息子さんはもちろん、同級生にとってもいい環境では無いです。
ゲーム制作の現場はチームで動いてます。仲間と刺激し合って初めて、創造性が産まれ専門学校はそれを知る最初の場所です。
どうかそれを息子さんに取り戻してあげてください。
影ながら応援しています。

ニュースも消えたら困るから全文を転載しておく。

東京モード学園、学生いじめ問題で責任逃れに終始~問題行為認めるも「仲良い関係」と主張

近年、全国各地の中学校や高校などで、いじめによって生徒が死亡する事件が多発している。滋賀県大津市の中学生自殺事件では、生徒ではなく教員や学校運営側のモラル低下が露見した。以後、昨年9月には「いじめ防止対策推進法」が施行されるなど、社会の重大な関心事となっている。
そうした中、専修学校運営で国内最大手、東京モード学園が運営するコンピューター専門学校「HAL新宿」に通う生徒間でのいじめが発覚した。ところが、東京モード学園は、きちんとした調査もせずにいじめの事実を認めず責任逃れに終始するといった、時代に逆行する対応を取り続けていることがわかった。
HALでいじめの被害を受けたAさん(21)によると、同じクラスで6歳年上のBさん(27)により、およそ2年もの間、「チビ人間」「童貞」「ショタ(少年を対象に愛情を持つ者、いわゆるショタコンの好みの対象となる者)」などのあだ名で呼ばれ続けていた。このほか、Bさんにより授業前に眼鏡や靴を隠される、火のついたタバコをくわえさせられた写真をLINE上で広められたりするなど、幼稚な悪戯が続いたという。
27歳にもなる大人が年の離れた人間にやることかと閉口せざるを得ないが、HALに通うAさんの同級生たちも、年が離れているせいか、止めたりBさんの行為を非難することはなかったという。学生にとって年齢の差が1歳でもあれば上下関係は一方的になるのは当然で、明白ないじめだ。Aさんは我慢を続けたが、昨年11月に耐えられなくなって不登校となり、相談を受けたAさんの父親を通じていじめが明るみになった。
AさんはHALに奨学金で通っているため、いじめが理由で不登校となれば、借金だけが残るという結果となる。Aさんの父親が学校側に具体的ないじめ行為を挙げて調査と対応を求めたが、学校側は早々に「いじめとは断定できない」との「調査結果」を出してきた。
学校側は、「授業前にメガネを取る」「マウスをパソコンの後ろに隠す」「ノートへの落書き」「『チビ人間』『ショタ』というあだ名で呼ぶ」「靴を取り上げる」などの行為があったことを認めた。しかし、「ほかの学生にも同様の行為を行っていた」などを理由として「『いじめ』とは断定できない」といった見解を示している。

●不十分な調査と不可解な主張

ところが、この調査は加害者であるBさんとその友人数人に聞き取りを行っただけ、だということが後に明らかになった。Aさんの父親は次のように憤る。
「こちらが具体的な事実関係の調査をお願いしているのに、それへの事実確認もほとんどされず、加害者側の学生が主張する『コミュニケーションだった』という主張に丸乗りして『いじめとは断定できない』と責任回避をしているようなもの。しかも学校はいじめの事実を認めないばかりか、息子が就学できなくなった理由について、単位の問題だと言っています」
今回の問題で対応に出てきたのは、HAL新宿の学校統括者で、GEなどの企業出身の永来真一氏という人物である。Aさんの父親によると、永来氏は当初から、「私はいじめの専門家ではない」といじめ問題に関する認識を述べることもなく、いじめ防止法の附帯決議に専修学校が含まれていることも知らなかったという。
しかし、永来氏は素人を自認しているのにもかかわらず、学校の見解として前出のあだ名がセクハラなどに当たるかについて、「関係性による」との見解を述べている。関係性によっては問題ないというわけだ。その上で、年の離れたAさんとBさんは「仲が良い関係にあった」として、セクハラやいじめではないとの認識を示しているというのだ。
また、学生のいじめ対策は万全だったとも述べているが、その内実は外部カウンセラー1名が週に1度だけ学校に顔を出し、数千人に上る東京モード学園全体の学生からのカウンセリングを受け付ける、というもの。それも電話対応などはなく、学内に備え付けられている箱に申込用紙を入れた学生に対してのみ、カウンセラーが連絡するという。現在、公立高校はもちろん、私立大学などでもスクールカウンセラーの常駐は当たり前となりつつある。HALの対策は万全とはいえず、アリバイ的と言われても仕方ないだろう。
東京モード学園はこの問題について、具体的な対策を取ることもせずに「調査も十分行った」「これ以上の対応はしかねる」と主張し、現在もAさんは復学できずにいる。同学園創立者としてテレビなどのメディアで頻繁にスパルタ教育などの精神論を説いている谷まさる氏は、東京モード学園について「今考えられる最高の教育環境を整えている」と胸を張っている。コクーンタワー(東京・新宿)などの建物は立派かもしれないが、学生のカウンセリング体制は一般的な学校以下であり、いじめ対応は責任回避を最優先するお粗末極まりないもの。「最高の教育環境」とは程遠いといえるのではないか。

(文=村上力)

東京モード学園、学生いじめ問題で責任逃れに終始~問題行為認めるも「仲良い関係」と主張(1/2) | ビジネスジャーナル http://biz-journal.jp/2014/01/post_3782.html 2014-01-07

わたしがこのニュースを紹介したtweetに対する反応もすべてを掲載しておく。

在校生たちのバカげた逃避の文言も2chなどに探せば見附かる。そのうち消えるとおもふが、「事実」としても理念としても重要だとはおもはれないが、挙げておく。
cf. (cache) HAL東京-16 http://megalodon.jp/2014-0131-1846-29/engawa.2ch.net/test/read.cgi/senmon/1348232146/
cf. HAL東京-16 http://web.archive.org/web/20140131094818/http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/senmon/1348232146/
593以降だ。この在校生らしき者どもに文句をいわねえのは、おまえらが正しいとおもってるからじゃねえぜ。言ふほどでもないからだ。お望みならひとつひとつ批判してやってもいい。
「事実」の領域でいへば、おそらくこれが確かめうるすべてだ。わたしにわかることでいへば、この「父親のblog」なるものを書いたのはすくなくともHAL東京の関係者だ。HAL東京に関係したり出入りしたりしなければ書けない内容が、たくさんいはれてゐる。これら残された情報をみると、ニュースの内容はだんだんと事実らしくおもはれてくる。学校長の名前や経歴くらいはしらべればわかることだが、HAL東京の組織の形態や、科目の構造は外からはほとんどわからない気がする。またHAL東京の内装についても、外からしらべてわかることからは、すこし超えたことが書かれてゐる。またblog記事のところどころ妙な点も、作り話ゆえとみるよりは、文を広く公開することに慣れてゐないことからくるとみたほうが、筋がとおるやうにおもへてくる。ただ政治的な発言はし慣れてゐる感じはうける。blogやtwitterの筆名が「村上烏龍」でありニュースの文責は「村上力」と成ってゐるのも、blogの初日が2014-01-08で、ニュースが2014-01-07に出てるのも、ほんたうはあやしい。おそらく同じ人物なのではないかとおもふ。日付けからして、この「村上力」がblogや2chを見て記事を書いたわけがないからだ。
わたしの推測は的外れかもしれないが、「不事実」だと一蹴できないものをもってゐる。そこで、すべて事実だと仮定してみる。生徒であるわたしの感覚としても、ありさうなはなしだとおもふからだ。また当て推量でも外れない範囲で書いてみる。わたし自身がHAL東京の生徒であるのに、事実を確かめられそうもない理由も述べるべきだ。このニュースのことは、昨日 (2014-01-30) からわがクラスでも話題になってゐたやうだった。おれはすこし休んでゐたから、今週あたまから話がまわってゐたのかもしれない。親しく頻繁にはなす友達もゐないから、詳しく聞くこともしなかった。またおれは、他人がどうしてるかにあまり興味がないから、向かうから話題をふられないかぎりは噂のことは気にならない。本日 (2014-01-31) の授業中、一部の生徒間の雑談でこの話題をとりあげてるのを耳にし、おもふところがあって検索したらこのニュースをみつけた。HAL東京には部活もなく、なにかきっかけをつくって友達を得ないかぎりは、他の学年や他のクラスのことなどわからない。同じ学部の同じ学年のことならば、すこしは伝え聞いたりもするが、別の学年はきびしいし、別の学部となるともう、おれにはまったく未知だ。blogの記事を読んで判断すれば、この被害者はCG学部の二年制二年に属してゐる。IT学部の四年制三年に属してゐるおれ (井上幸亨郎) にはまったく未知の界隈だ。わがクラスでも、ニュースの話しか噂にあがってゐないやうだったし、教師からなにかをきいたこともない。教官のあいだで話題になってゐるのかもわからないし、わたしの感覚から単純に予想をすればおそらくはなしてもらえないだらう。そもそもおれには、話ができるやうな教師はゐない。仲が好くないんだ。おれからは迷惑をとてもかけてゐるし、またぜんぜん親和感をいだいてもゐない。学校といふものが合わないんだ。もしたしかめやうとおもったら、ツテをたどってCG学部の人間に会うか、学校長に直談判しなければならない。そこまでではなからうとおもふのだ。
もうひとつは、学校責任者なる永來真一といふ人物はなにものなんだ。おれはそんな名前もそんな役職もはじめてきいた。まあ生徒が理事の名前なんて知らなくても不思議はない (追記20140302 その後調べて、永來真一なる人物がHAL東京の管理部に実在する事を確かめた。但し此れは、HAL東京の校内に入れる者ならばだれでも労無くしらべられることで、〈事実〉になんら寄与しない)。まちがってるかもしれないが、HAL東京の組織を説明しておく。母体の学校法人モード学園は、東京・名古屋・大阪にひとつづつ拠点をもってゐる (外国にもあるやうだがそれは除外する)。それぞれの拠点に、コンピューター (HAL)・ファッション (モード)・医療 (医校)の専門学校がひとつづつはいってゐる。計9個の学校だ。たとへばコンピューター専門学校のHALは、HAL東京とHAL名古屋とHAL大阪のみっつ存在する。それぞれの学校にひとつづつ、計9個の教務部が存在し、教師たちはそこに所属してゐる。鶴保征城さんなどの学校長は、おそらくHAL東京の教務部の長として存在してゐる。この権限の階層はおれのおもひちがひかもしれない。東京・名古屋・大阪の拠点それぞれに、ひとつづつ、計3つの管理部が存在する。おそらくこの永來真一なる人物は、東京の管理部の中でHAL東京を管理する責任者なのではないかとおもふ。なんどもいふが、当て推量でやってるから、おれのまちがひかもしれない。9個の教務部と3個の管理部の全体として、学校法人モード学園が存在してゐる。この母体の長が、学長の谷まさる (粕谷勝) さんなのだとおもふ。おれはこの学校に、ただ就職のためだけにはいった。おれのblogを調べてくれればいいが、はいった三年前はプログラムもましに書けなかったから、すこし耳学問しやうと学校を探して、大学もかんがへたが、なかでもあまり拒否感がおきなかったのがHAL東京だった。大学にはげんなりしてゐたし、行っても行かなくてもたいして意味はないとおもってゐる。あそこは公園のやうなもので、世間とは中性的に、研究したり遊んだりしてるのがいちばんいいんだ。今後大学が専門学校みたいなバカになれば、勉強しにいくところにもなる。おれは学校でともだちもなく遊ぶことに慣れてしまったから、大学でなくてもどこでもよかった。ただ知り合いのひとりもゐない自分が、IT業界の端にでもはいれればよかった。ただ生活のためさ。その意味でわるくない選択だったとおもってゐる。HAL東京にはいってゆいいつ価値があったのは、谷まさる学長を見れたことだな。入ってはじめて存在を知ったが、あの学長だけがすこしちがふとおもった。自己啓発とはちょっとずれてるんだ。そのずれの分だけ優れてゐて、たいした人物だとおもった。あの学長のもとでこんなどうしょうもない学校ができるのかともおもった。ただこれは逆かもしれない。おれは現在の教師と生徒といふ関係が根本的にダメだとおもってゐる。内田樹みたいなのはぜんぶダメだよ。おれはだいたいの教師がきらいだが、学校で教師としてつきあわなければ、おそらく平気でつきあへるとおもふ。偽ものの儀式なんだよ。そんなダメなものが、谷まさる学長の分だけましになってゐるともいへる。その意味で、教育課程も教師もまったく学校なのに、ほとんど不可視だが雰囲気のてっぺんにどこか学校らしくないところがある。もちろんその程度だともいへる。ほんたうはもっといい学校ができてもよかったはずだといふ気もするが、現在ではまだとおいたたかいで、それは望み過ぎなのかもしれない。
いじめに関するおれのかんがへは基本的には変わってゐない。いじめるほうが100%悪いわけでもいじめられるほうが100%悪いわけでもないといふことだ。どちらも悪いといふのもちがふ。また組織の構造が悪いのだといふことも、いってもあまり意味がない。
cf. いじめに関して「それくらい耐えられない奴が悪い」とか「いじめる方が100%悪い」とか言ってる人は http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/07/05/200405
おれの属する学級にもいじめはある。「あれはいじめじゃない」などと寝ぼけたことは言はぬことだ。いじめは絶対悪ではなく、ただ相対的なものだと言ふべきなのだ。相互的であるかどうかも重要ではない。わたしは一方的にいじめたことはないつもりだが、相互的なものならばある。もちろん相手は一方的におもひ、恨んでゐるものはたくさんあるとおもふ。一方的にいじめられたことならば何度もあるが、相手もあまり興味がなかったやうで、ぜんぶ立ち消えになった。おれも興味がなかった。日常の会話や興味がいじめ的になってゐることなどよくある。さういふことをやったことも受けたこともないと言ふ者は、ちょっと反省するといい。いまの学級でいへば、はっきりした例はふたつだ。一部の生徒は、あるひとりの生徒をかなり悪くいってもいいとして扱ってゐる。これは陰でいふのではなくて、授業中の雑談でいふのだ。本人も心得てるやうに見えて、むしろ仲がよくみへる。おれは聞いてて気分が悪いが、いはば仲良しグループのスケープゴートで、比較的うまくやってゐるやうであり、なにもいふつもりはない。お互い心得てゐるなら、それほどのことではない。これは外からみてゐても結局のところはわからない。もうひとつの例は、すこし扱いにくい生徒を相当陰口や嘲笑してもいいことになってゐる。知的に問題があるやうにみへる者を、うまく付き合いきれずに悪く言ふのはどこでも見掛けることだ。こういった人間はだれにとっても付き合いにくいので、みなが悪く言ふのだが、さうでなくてもすこし人間関係に問題が生じれば悪くいって済ますのは、誰にでもよく見掛けることだ。ちょっとここからの逃れ道はないやうにみへる。よく感じる者であれば、人間についての真理に到達することでしか、このことは完全には解決されないことがわかる。ただこちらの例も、表立ってなにかいったりやったりしてゐるのは見たことがない。だから余地があるとも、だから悪いともいへる。その生徒とおなじく、わたしも知らないところで悪くいはれる範疇の人間だといふことは心得てゐるが、たぶん関心ももたれてゐないのであまり陰口を叩かれてはゐないとおもふ。わたしも関心がない。
もうすこし言ひたいことをいってみる。おれがいじめに関してもってゐる原則はひとつだ。それは、いじめる者といじめられる者のどこかに、抜け穴や救いが残されてゐることだ。そして抜け穴や救いがのこされてる間は、親や教師や友人は外から決して口や手をださない。当事者でない者が当事者を気取って口や手をだせば、かならずそれだけ抜け道や救いを塞いでしまふ。それは偶然以上に決していいことにはならない。但し親しい者から助けを求められれば、親や教師や友人は必ず自身の全力を尽くす。これがわたしに課してゐる条件だ。やったりやられたり見てきた経験でいへば、いじめには大抵抜け穴や救いが用意されてゐるものだ。また残されてゐるならば、さう悪くないことだとおもふ。おれは泥棒も、相対的にしか悪くはないとおもってゐる。追い詰められてやっちまったんだとしたら、それは法律的に罰せられるのであって、倫理的にはいいんだ。被害者はどんなに恨みを抱いてもいいし、仕返しをする正当性もあるが、それ以外の者がとやかく言ふことではない。すこしかんがへれば、この抜け道や救いが残されてゐるといふ条件は、いじめる者といじめられる者だけの問題ではないことがわかる。現在までの日本では、それぞれの家族に問題が掛かってゐるとかんがへるのが正当だ。学級や職場のまわりの人間が、それぞれを追い込むやうな手出しをしないことも大切だが、家族のほうに逃げ道が残されてゐれば、そこまでのことにならずに保つことができるとおもはれる。もし家族のほうへ日々抜けられないとすれば、自分の単独の労力で抜け道をつくらなくてはならない。これはつらく険しい道だ。このことは、本質論としてはいじめる者といじめられる者の両方にいへる。ひとりだちするまでの乳児期に問題を集中させてかんがへれば、この本質論は成り立つ。いじめられる側は、この問題を現在まで引きずることになる。今回のニュースの件でいへば、いじめた側のことはほとんど書かれてゐないので判断ができない。しかしいじめられたこの者の方にはかなり問題があったやうだ。この「父親」はみずからさういふ像を描き出してゐる。そしていじめられた者は日々の家庭にも抜け道を持ち得なかったやうに書かれてゐる。それだからこんなところまできてしまった。また学校側の反応は無思考で最低で、こんなバカげたところまできてしまった、さう書かれてゐる。繰り返すがこの学校側の反応が事実かどうか、おれは確認できない。すべて架空のことかもしれないし、この「父親」の意識・無意識でのまちがった印象かもしれない。だがもしこういふ「事実」があったとして仮定にもとづく一般論としていへば、こんなバカげた「反応」はない。いいところなんてひとつもねえじゃねえか。こどもが親に助けを求めてその親が出てきた。これはもう事態が行くところまで行っちまってるんだ。「事実」がどうであるにしても本気で「反応」するしかないよ。さっきも言ったが、この学校が、個々人の技能や価値としてではなく、「学校」として優れてゐるところは谷まさるさんだけだとおもふ。なにひとつみずから徹底的にやらず、さんざん手を抜いた「反応」をしてきたんだ。これで谷まさる学長が出てこなかったらおれはどれだけ失望したらいいんだ。
法華経に常不軽菩薩といふ人物がでてくる。雨ニモマケズに出る宮澤賢治のやうな人物だ。それを低く見られ軽蔑されるのだが、どんな相手も敬いけっして軽んじなかった菩薩だ。この超人の逸話を、おれは吉本隆明の本からひょんな拍子に知った。それ以来、町などで会う知的に障害のある者と相手しづらくおもったり、あるいは嫌な相手にであって嫌な気分になったりしたときに、この超人に掛けていったいどうしたらいいんだとおもってきた。いったいどうしたらいいんだ。おれはじぶんの「嫌いだ」といふ印象を信用しないことにしてゐる。その「嫌いだ」といふのは、たいていは相手の一部だけについて感じたり言ったりしてゐるので、相手の全人格のほうへ関心をのばせば考慮や納得のする根拠があるのがほとんどだ。さういふただ部分についてだけで「嫌いだ」といふ判断をするのは、間違ってゐるとおもふ。そんな判断の仕方は無くなるのが理想だとおもってゐる。常不軽菩薩のやうな超人になれといふのは言ひ過ぎで、「嫌い」なのは「嫌い」でいいんだ。それで理想は崩れないさ。だがそれには、全人格と全現在をかんがへなければならない。それを放棄したときにおれは死ぬ。ひとつずつ進んでゆくしかないのだとおもふ。

井上幸亨郎 2014-02-02