c4se記:さっちゃんですよ☆

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良きものと悪しきものが対比する偽の両義に就いて、其れは論理的な定立のもつ否定作用がもたらす幻影である

手書きのmemoをblogに書き写さなく成って久しいが、復た力尽きる迄、或いは復た気が向いたらやらうと思ふ。OCRが完璧に成れば好いのに、と夢想するが、私ののたくった様な字と、然も橫假名で書いてゐるから望みは薄い。読ませる様には書いてゐないから、迚も読めた文体ではないが、公開しておけば言い訳に成ると云った程度の卑怯な心だ。忙しさにかまけて怠けた跡でも本気で考へたものだから、いつか役に立てばと云ふ位いに思ってゐる。

2014-01-22

1

何故詩を書くか

2

わたしは交換様式論を信じないし、純粋贈与を信じない

3

詩の思想とはなにか  思想の詩とはなにか  此れは必要充分条件として同致させるのではなく、相互的な喩である

4

cf. 囁き(うたかた)♪:[詩] 2014-01-01良きものと悪しきものの姿は似るのだ http://blog.livedoor.jp/lotus_gate/archives/1575844.html
に就いて。
良きものと悪しきものが対比する偽の両義に就いて、其れは論理的な定立のもつ否定作用がもたらす幻影である
此れは自己意識が、対自的な対象存在 (対象a) と自覚の超越線とに分離して了ふことに起源する。余りいい言い方ではないが、此の通りだ。
此の偽の両義性は限界迄追い詰めてみる甲斐は有る。重力と恩寵

2014-01-23

昨日 (別のノートに)

良きものと悪しきものが対比する偽の両義に就いて、其れは論理的な定立のもつ否定作用がもたらす幻影である
此れは自己意識が、対自的な対象存在 (対象a) と自覚の超越線とに分離して了ふことに起源する。余りいい言い方ではないが、此の通りだ。
此の偽の両義性は限界迄追い詰めてみる甲斐は有る。重力と恩寵
と書いた。註釈をひとつと付け足しをひとつしたい。
ひとつは、自意識の分裂の記述に就いて、わたしは洞んな学説も仮定してゐない。即自的なじぶんから対他性まで延びてゆく面と、対他性として存在する為に疎外されて対自性にまでいって了ふ面との空隙をいひたかった。内的な超越性 (絶対性) と外的な超越性 (絶対性) の、相対を絶対に迄のぼり詰めて了ふ相克をいひたかった。即自と反即自が、疎外と反疎外に転換し逆転換する場面で、定立と其の否定作用が相克する偽の劇だと見做したかった。
もうひとつは、此の簡単な論理から無限遠へ跳び去って了ふ前に、単純な心理を見ておかうと思った。私達が論理を立てやうとするとき、対抗すべき現実は既に一箇の論理に見えてくる。此れは現実が論理的であるからではない。論理を持たうとする私達の心理が、反対物として現実を普遍的なものへと変容させるのだ。だが私達は生まれたときには既に此の世界に存在して了ってゐるし、現に其の世界から圧迫を受けてゐる。然して世界に既に存在させられて了ったと云ふ契機を拒否する為に、私達は論理へ向かふ事を強ひられる。此う言ひ換へても好い、現に私達を圧迫してき、洞んな時も場当たり的に見へる此の世界を、世界全体として捉へる為に人類は論理を発明したと云ふ風に。此の単純な心理学を、間違へると偽の両義性を絶対化して了ふ。快楽原理や死の欲動を、関係に基付くものとせずに観念として王座に置きみずからは腐敗して了ふ。
重力と恩寵の解釈へ向かふ前に、此れ丈の事は言っておきたかった。