c4se記:さっちゃんですよ☆

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時間は現在に於いて、構造的に存在してゐると謂ふべきだ

想起とは過去の二義的な形態に過ぎない。同じく予期も、未来の二義的なものに過ぎない。時間は現在に於いて、構造的に存在してゐると謂ふべきだ。巧い言い方ではないが、過去は、謂はば引き摺りや滴りの様な形で、現在に於いて構造的に存在してゐる (全過去)。若し然ふではなく、過去は想起の認識や因果の原因として存在してゐると考へたとしたら、例へば〈鬱〉の状態では、過去は現在に直接重みの様に存在してくる事を説明できない。ただ病的な精神と見做して了ふ。現在では、此の様な考へは、有効ではなくなってゐる。


わたしが昔書いてきたことは、此所に含む事が出来る。時間の重層性な事と、段階と云ふ事だ。
cf. 意識からみた自然の時間は単線的であるが、心的な領域は、この自然からのいまだ知り得ない選択として成り立っている為に、分岐と重合を繰り返す複合的なものである http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/05/11/212648
cf. 言語は意識の時間に継起するが、この時間は当然一単線ではない http://c4se.hatenablog.com/entry/2012/05/30/181905
cf. 以前からは想像もつかないにも関わらず、以後からは合目的に見え、又、以前迄に於ける変化の系列を、以後の観念からは全くちがう変化の観念の系列として、総体的に捉えられる、それがあたかも合目的である、そういう必然な移行を以て、〈段階〉の移行と言う http://c4se.hatenablog.com/entry/20101227/1293415883
ちなみに此所でわたしは、すべての「層」には、単に地層的に積み重なると云ふだけではなく、空間的にも地層的 (断層・褶曲) にも接続されるイメージとして、位相束的な「層」と云ふ語を使ってゐる。cf. 層 (数学) - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%A4_(%E6%95%B0%E5%AD%A6)

郡司ぺギオ幸夫「群れは意識をもつ」

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序 (PHPサイエンス・ワールド新書)

群れは意識をもつ 個の自由と集団の秩序 (PHPサイエンス・ワールド新書)


優れた研究をたくさん紹介して呉れて有り難いが、此んなバカな概説書を書いてゐる暇が有ったら、凡庸な、ちょっとした思い付きの研究ばかりやってゐないで、まともな研究を続けて呉れれば有り難いと思ふ。理学的な研究は、其れが大したものに成るか洞うかは、或る程度以上の水準では偶然に成ってくるから。
既存の数学や理学がむつかしく見えるたいていの理由は、単に用語を覚えてゐない丈だ。既存の理学理論を理解するのに、大した頭はいらない。興味と根気と、素直さだけが有れば好い。タネを見せられた手品と同じだからだ。新たな理論 (公理・定理) を産み出していくのは、むつかしい事がある。
わたしは郡司ぺギオ幸夫の事を、凡百な研究者でついでにバカだとしか、思ったことがない。研究に就いては、精密に追った事が無いから、其所は間違えてゐるかもしれない。わたしが見掛けてきた、郡司ぺギオ幸夫の書く一般書から逆算して見積もれば、然ふ云ふ考へに成る。また本人のWeb siteを少し覗いた限りでは、然ふ成る。「郡司ぺギオ幸夫の話は理解できない」と云ふが、何の事はない、用語の畑が違ふ丈である。わたしは幸いにも畑が近いから、彼男の話を追う事が出来る。其れで充分だと思ってゐる。
時間や因果に就いての話が有る。何の事は無い。因果グラフ (因果推論) の分野である。因果の様な順序構造に、束論を使へるかもしれないと考へるのは、想像に難くない。また、沢山やられてゐると思へる。因果グラフの話に成った時点で、グラフ理論の話はすべて使へるかもしれないのだ。
モノとコトと云ふなんとでも成る区分は、無用だとしか考へられない。わたしの見てきた範囲では、此の区分が有効だったところは一度も見た事が無い。一度もきちんと定義されたところを見た事も無い。郡司ぺギオ幸夫が此の本で言おうとしてゐるのは、生命の一瞬の位置と速度に対して、一種の加速度を考へる事に当たってゐる。生命のラグランジアン (Lagrangian) に対して力場を考へると言ってゐるのではない。圏と関手に対して自然変換の様なものを考へる事に当たってゐる、と想定出来る。だから、圏論を使へるだらうと思ふ事は想像に難くない。また、既にやられてゐる。此の辺りは、郡司ぺギオ幸夫たちの功績だと思ふ。

cf. 計算 (判断) を、人間の最も優れた〈能力〉と見做す思想を、情報技術と云ふ http://c4se.hatenablog.com/entry/2013/09/18/003328