2012-05-09
1
現実につきあたったところではなく、現実につきあたることから逃れたところに言葉がでてくる。わたしたちはその言葉のところからふたたび現実へくらいついてゆく。言葉をもったものの運命である。
2
言葉をひとたびもてば、意識は言葉を発するところでひとりでに現実から逃れる。そこから多様な方法で逃れつづけるか、ふたたび現実へ掴みかかろうとぶざまな苦闘をするかのちがいがあるだけだ。
生活の多様さを捨てれば思想の多様さへ逃れることができる。生命の多様さと思想の多様さは共存できないのではないかという気がする。ただ生命と思想とはいくらでも混同できる。自意識はひとりでにはいくらでもまちがうからだ。
3
すぐに世界性のほうへかってにとびだしてゆく。言葉は空虚だから、どこへゆくのも簡単だ。だから、言葉がどこへゆくか、どこへとどくかは、たいしたことではない。不安は、混同しているのだ。言葉に託された空虚さと、言葉の走りだす空間のわからなさを区別するのはむずかしい。
2012-05-12
1
絵像として意味をあらわしていた系列が、無意味な音を表せるようになったとき、わたしたちはそれを〈文字〉という。
2
略