c4se記:さっちゃんですよ☆

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木村敏に依る「あいだ」の精神病理理論と、ジャック・ラカン等にも連なる対象関係の人格理論とは、近しいが #memo

木村敏、前祭と後祭との思春期から壮年期にかけての転換、と、東浩紀の35歳説。

木村敏に依る「あいだ」の精神病理理論と、ジャック・ラカン等にも連なる対象関係の人格理論とは、近しいが、木村敏の理論の特色を挙げるとすれば、人格の裏の〈時間性〉を重視している点。祭前(アンテ・フェストゥム)を精神分裂病統合失調症)、祭後(ポスト・フェストゥム)を躁鬱病双極性障害)と関連付ける。
ライフサイクルに於いて、思春期の時間性を、革命前・〈戦前〉(柄谷行人)の如き祭前と結び付け、壮年期40〜50を、祭後と結び付ける。
村上春樹から得たと本人は述べているが、東浩紀は「クォンタム・ファミリーズ」で、人は35歳で、未来に成し得る事と、過去に成し得なかった事の、総量比較が逆転すると言い、此れを可能世界論と関連付けている。
此の二つの関連。

フェアベーン、分裂性人格の内的対象と、知識人の閉鎖的な集まり。

フェアベーンは、カール・グスタフ・ユングの「内向的人格」と類比できる、「分裂的人格」の概念を、メラニー・クイーンの精神分析理論に於ける〈内的対象〉と結び付けながら説明する。人は、精神の一番基底的な所では、皆〈分裂的(前期口唇期的な病)〉であり、その次の段階では〈躁鬱的(後期口唇期的な病)〉である。
フェアベーンに限らず精神分析の理論は、質の悪い判じ物のようなものだが、その間を縫って、使えそうなところを取り出してくれば、即ち、分裂性が大きな影響を持っている〈分裂的人格〉の者は、前期口唇期に体内化した内的対象を、密かに持っておきたい。前期口唇期では未だ、受諾と拒絶が分かれていないから、体内化の維持はただ対象を遠ざける事で行われる。
知識人(インテリゲンチア)はまず分裂的。
此の内的対象との分裂的な態制と、文壇に限らず日常的に見られる、閉鎖的な見下したようなあつまりとの関連。

〈身体〉を経験的肉体から、基底的環界の方へ拡張してゆく事が出来る(行為の位相)。反対の位相で、〈環界〉を経験的環界から、対象的身体へと拡張できる(感覚の位相)。このこと自体は心的概念であるが、人間的概念ではない。

或る者が当該事項を達成できていないことは、其の者が注意勧告してはならぬ理由にはならない。その事項を正しいと思っているか洞うかのみが問題なのである。達成に向けて遂行を続けているならば、注意する資格は有る。只「資格が有る」ことと其れが正しい事とはまったく別のことだ。
「正論」とは、正しさの先験性(a priori)のことである。然し正しさの先験性を保証するのは、正しさの体系自身へのアクセスしかない。アクセスを拒否するのは、偶然であり質的に自由だ。そのとき、正しさの起源は現実と自己との関係に、動的に割り振られ、この瞬間に於いては後験的(a posteriori)なものとなる。正しさの先験性に対して、偶然にて対抗することはできない。偶然にあたった時、わたしたちは黙り、かたくなにうろたえるしかない。別の先験性を得るまでは、耐える他に、他人にはあきらめさせるか答えの返らないことに苛立たせるほかに術はないことになる。その別の先験性が、欺瞞にならない為には、現実とわたしとの関係を覗きつづけるを先験性に織り込む、曰く偶然性の必然に依る以外にはないことが、人間のもつ哀しさの中身である。