c4se記:さっちゃんですよ☆

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#memo 音楽理論・参考書

音楽理論

音楽理論とは、人類のもってきた音楽に、内包されているのではない。各時代の音楽家が、じぶんはこういうふうにつくれば、いい音楽とおもうようだ、というが縒り集まって、複雑に体系化されたものだ。それは体系化に耐えうるものであるとはいえ、その過程で、おおくの貴重なを切り捨てている。音楽理論に添わないから、音楽としてまちがっているわけではないのだ。むしろ個々の音楽表現にとってたいせつなのは、それぞれ音楽家の固有なである。それは、ほかのと歴史的には連続しているが、空間的には、相対し、反発するせいしつをもっている。

参考書・教科書

どのような参考書のもたらす知識も、ひとつの体験の成果にはかなわないという謬見をみる。これが謬見である所以は、体験を成果とみなし、体験のもつ固有な偶然性を剥奪して、直列に成果へとならべているからだ。
もうひとつある。個別の参考書の粗悪さでしかないものを、文書いっぱんの性質のように、いっている点だ。参考書や教科書は、ほんらい無数の体験を、数人の人間が煮詰め、ついに一般性にまでとりだされたものであるはずだ。それがなされておらず、ただひとりの下劣な「体験」を、さらに鈍磨させた文言でもっておちゃを濁すことしか考えていない参考書はおおいが、それは編纂者の個々のもんだいであって、すぐれた教科書はみな、無意識にこの煮詰めの作業をおこなっている。