c4se記:さっちゃんですよ☆

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山口謡司『ん』読了。外れを買って仕舞った #book

珍しく外れを買って仕舞った。立ち読みをなおざりにして仕舞った事と、言語の分野全体に未ださほど詳しく無い為にした、入門期の過ちである。だが逆に、入門期ではさほど内容の無い本でも役に立つと云う事でもある。

ん―日本語最後の謎に挑む (新潮新書)

ん―日本語最後の謎に挑む (新潮新書)


雑学は幾ら集めたって何も解らない。衒学者が対抗出来るのはせいぜい身内の衒学者丈だ。趣味としては楽しく、時間も有効に過ごせ、時を経る毎に楽しくなるから、可成り優れた趣味と言える。だが衒学は思想にはならない。〈全体性〉が無いからだ。


「ん」「ン」は古く日本語の〈表記〉としては無かった、と云う話。其れは音律を整える為に音声としては、特に俗に使われていたが、[ng]は「イ」、[m]は「ム」、[n]は「ニ」と表記されていた。「ん(撥音)」は濁音や半濁音と共に、下品な音として嫌われてもいた。「やんごとなし」→「やごとなし」の様に落として書き、音読する時に任意に加えて読む習慣も有った。
「ん」は音声のリズムを与えるのに対し、表記には存在しなかったと云う点は、一つの示唆である。音にはリズムとして有るが、表記に存在しなかったのは「っ(促音)」も似ている。
私は、「言語には、音声の言語と文字とが互いに関わらず独立の体系として有った段階が存在する」と考える。此れは歴史的な問題ではなく、構造的な問題だ。いちばんへだたったところでは、音声と結びつかない文字は只視覚的な記号の体系として有り、言語とは見做されていない。此れが言いたい事は、文字とは音声言語の上に作られるのではなく、音声言語の構成力が、文字に耐えうる迄に達した段階で、独立に有った文字が音声言語と結びつき、文字言語の構造を持つと云う事だ。此の事は身の回りの絵記号を見てみたり、漢字や楔形文字やマヤ文字等象形文字の起源を考えても、特にトンパを見れば解り易い。
「ん(撥音)」や「っ(促音)」は音声の律を整える為に有った。日本語に文字は無く、漢字の音で其れを代用しようとした。日本語の構成力は其れ迄象形文字を発達させる程には成っていなかったからだ。其の構成力が徐々に発達して行くのは矢張り万葉集辺りからである。強固な象形文字の体系を持たなかった為に、日本語に成された事は、意味ではなく音を文字(漢字)に結び付ける事だった。詰り象形文字が文字言語として完成する為の「意味を表していた絵記号で意味を無視して音声を表すことが可能になる(主に固有名詞で使われる用法)」と云う最後の条件丈を漢字で日本語にて実行した訳だ。此う考えないと、日本語の発音を只漢字で写した丈なのに、何故書かれない音が有ったのかと云う謎は解けない。


此れ以上の事を確かに述べようとするならば、視覚と聴覚は心的現象として如何に構造を持っているかと云う点を明らかにしなければ語れない。然して此の分野は、確かでないのに適当に語るのが許されてはいない。事例以外のまともな事が述べられる事の少ない分野だからだ。