c4se記:さっちゃんですよ☆

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「嗤わないでほしい。僕は、真剣にチルノと結婚したい!」 - またまた秋葉原通り魔事件へ

松村喜秀とかいう輩はこの視力の無さで社会を論じるなぞ、知識人としての見識を疑わざるを得ない。これでコラムを書いて身銭を稼ごうと嘯くのなら、それは単に知識の怠慢である。


秋葉原通り魔事件 〜 人生はリセットできない - 松村喜秀
 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/ea/27/index.html

わたしが通り魔犯についてのコラムを書いた直後、秋葉原で恐ろしい通り魔事件が起きてしまった。事件が起きた6月8日、ちょうどわたしは秋葉原に買い物に行く途中だったが、事件のことを知って行くのをやめた。
なぜ、犯人は自分1人で自殺しなかったのか。なぜ、全く関係ない人を殺したのか、殺された方々のことを考えるとやりきれないし、許し難いことだ。
今回は、殺傷能力の高いダガーナイフを使ったり、福井の武器ショップでナイフを5本もまとめ買いしたりと、ナイフの売り方・規制の仕方にも大きな問題を投げかけた。通常の用途で5本も一度にまとめ買いすることなどあり得ない。
既に警察庁やいくつかの県が、青少年に対するダガーナイフ販売の規制に乗り出している。また、販売店と連携し、購入者の身元確認をするなど、ナイフ販売に一定のルールを設けていく方向に進んでもいる。できればこれを、全国で推し進めてほしいものだ。
刃渡りの長い刃物について、海外では刃をつぶして販売する地域もある。悪意を持った人間はそれでも自分で研ぐかもしれないが、ある程度の歯止めにはなるだろう。
拳銃の入手なども昔に比べて容易になりつつある今日、治安のことを考えると、武器の規制は重要だ。今回の犯人のようないかれた男が銃を手にしたときの恐ろしさは想像できるだろう。


秋葉原の街は「仮想空間」になったのか
秋葉原という場所は戦後、ジャンクの部品販売から始まって、日本の技術の発信地になった。海外から最先端の部品や製品を求めて、多くの人が買いに来る街になった。
ところが、いつのころからか、オタクやゲーム、アニメの街になってしまった。それを最新文化を取り込む秋葉原の魅力だという人もいるが、わたしには異常なこととしか思えない。
わたしも精密機器を製作する会社を経営しているので秋葉原にはよく出かける。先日、40歳を超えたと思われる男がスカートをはいた奇妙な格好で歩いているところにいきなり出会った。ゲームかアニメの主人公の姿を模した「コスプレ」というものだろうか。
イベントや冗談でやっているのではなく、堂々と普通に歩いていた。秋葉原の街が「仮想空間」だとでも思っているのだろうか。そこは、多くの人が行き来する大通りである。これが「最新文化」なのか。わたしはあぜんとして見送るばかりだった。
また、喫茶店に入って、アイスコーヒーを注文したら、「コース料金が3800円になります」と言われて驚いた。いわゆる「メイド喫茶」だった。中を見渡すと、若い男がメイド姿の女の子に膝枕で耳かきをしてもらっている。それが3800円コースだという。これが、文化? 単なる風俗産業の一つではないか。
男なら誰しも女性と付き合いたいし、持てたいが、そう簡単にはいかない。口説いて振られたり、無視されたりしながら、相手にどうしたら好かれるか努力するのが人生だ。
それもしないで、3800円払って、恋人気分を味わうとは情けない。


何の責任もない仮想空間
土浦市のJR荒川沖駅構内で通り魔事件を起こした金川真大容疑者同様、今回の加藤智大容疑者もゲームに影響されている面がある。
ゲームとこうした事件には関連性がないと主張する人たちもいるが、本当に関係がないのかあるのか、そろそろ日本でも本格的にゲームが精神におよぼす影響について調査・研究するべきではないか。
ゲームメーカーがそうした資金を提供して、行政も加わった第三者機関で(良い面も悪い面もきちんと)研究するべきだ。ゲームメーカーにはそうする義務がある。
日本では米国ほどシューティングゲームが盛んではないようだが、相手が仮にモンスターといえども、小学生の時代から相手を殺すゲームを続けていたら、人殺し感覚を学習してしまうと思う。
トラックで人混みに突っ込み、ためらいなく人を刺し殺すのは「ゲーム感覚」としか言いようがない。ゲームの中では何の責任もない。殺しても何をしてもリセットすれば、元に戻る。
バーチャル空間であまりに長時間、長期間、それを繰り返すと、仮想と現実の区別がなくなり、現実空間でも同じことをしてしまうのではないだろうか。
加藤容疑者を見ていると、驚くほど無責任な振る舞いには、そのことが原因の一つであるとしか思えない。
ゲームは何回でもリセットできるが、人生はリセットできないのだ。人を殺してしまってから、ことの重大さに気づいても取り返しはつかない。


殺人と暴力のゲームはもう作るな
先日、テレビか何かで見たのだが、ゲームに登場する女の子の誕生日に、オタクの男性がケーキを買ってきた。そして、テレビ画面にその女の子を映し出し、「○○ちゃん、お誕生日おめでとう」と言いながら、ケーキをうれしそうに食べていた。
これがやらせでないなら、もはや異常だ。異常という言葉が悪ければ、あきらかに現実からはるか遠い世界だ。
以前、アダルトビデオを制作している人たちから聞いた話だが、今の若い男の子には「ゲームオタクがゲームのキャラクターのような女の子を自由にする」といった類のストーリーが受けるという。
それは、本当の女性にも、ゲームの中の女の子のように振る舞ってほしいという願望だろう。だが、本当の女性がそう振る舞うことはまずない。だから、成人してそうした願望を満たすアダルトゲームに向かうのだろう。
知性や感性を磨く子どもの時期に、夜遅くまでゲームに浸り、長じてアダルトゲームやメイド喫茶にはまっているような若者が増えるようでは、ますます常軌を逸した通り魔事件が増えてしまわないか。
先日、講演でこうした話をしたら、会場の参加者の男性が「うちの息子がまさにそうなんです」と愚痴っていた。その男性に伝えたことは、「まず奥さんと仲良くして、その仲のよさを子どもに見せてください」ということだ。夫婦が楽しそうに暮らし、その輪の中に子どもを取り込んでいけば、ゲームだけにはまることもなく、ゲームキャラクターよりは現実の女性の方が素敵だということになる。
子どもは、その育つ過程でいろいろなものを見聞きし、将来の自分をイメージする。いわば「人生のリハーサル」を頭のなかで、仮想的に実行しているのだ。よいお手本があれば、それを取り込んでいくことだろう。だからよい環境、よい刺激の下で育ててあげたい。だが、現実と折り合うことのない仮想現実ばかりが周囲にあったら、せっかくの学習の過程が台無しになってしまうのではないだろうか。
わたしは、すべてのゲームが悪いと言っているのではない。最近は頭や身体を鍛えるゲームも増えてきたようだ。だが、殺人や暴力を扱うゲームだけはもう作るのをやめてほしい。いくら、成人指定をしているといっても、秋葉原のジャンク屋などに行けば、成人指定も平気で売っているのだ。
これまで、20年以上も子どもに影響を与えてきたゲーム。そこにある悪い影響は、簡単に元に戻すことはできない。再び、20年以上かけて、直していかなければならない。
だから、ゲームを作っている人たちに強く言いたい。いくらもうかるからといって子どもをダメにしていいのか。殺人や暴力のゲームは今すぐ作ることをやめてほしい。

私は幼少からアブラムシとか虫や草木を虐殺してきたし、今でも殺虫剤や木の棒を振り回す(独りちゃんばらごっこ)。人を殺そうなど何度も思ってきたし、今でもよく思う。自殺する気になるのと同じだ。
だが、私は自分を〈正常〉だと考える。
精神の「健康」は若い体力の産物である。成熟とは精神の病だということは、フロイトラカンに聞くまでもない。
自らを嫌い、他人を嫌わぬ者、絶望しないものは、硬質化する。換言して、自身を間違ったものとして差し出さない者は、成熟することなく老衰する。老いと老衰は異なるものだ。老衰は機能不全であり、老いて成熟することは必然を完遂する行程なる。


キャラに話しかけたりケーキを備えたりするのは、仏壇に勤行をするのと相似に考えればちょうどいい。


ゲーム等は、考察中であるので、また後にする。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)
PlayerとCharacterとの二平面分岐というのは、私も含めてさまざまな論者の議論がひしめく領域である。一読を。特に無駄とはおもうが松村喜秀さんは一読を。


【論説】 「ゲーム製作者へ…もう殺人や暴力のゲーム作るな!」「ゲーム画面の女の子にケーキ贈る…異常だ」…精密機器製作会社社長
 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1145642.html
ゲーム画面の女の子にケーキ贈る
ゲーム画面の女の子にケーキ贈る…勿論正常だ。


健康な体に健康な精神が宿る - 松村喜秀
 http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/ea/25/index2.html

佐世保の事件で、犯人が猟友会に入っていたことから、警察も猟銃の規制強化に乗り出したようだが、日本を米国のような銃殺人の社会にしないためには、まず一つ目の対策として銃やナイフなど武器を極力、手に入れにくくするべきだろう。
二つ目の対策は防犯カメラの増設だ。
今年5月に京都府舞鶴市の高校1年生が殺害された事件で、道路に設置された防犯カメラに被害者と思われる若い女性と別の人物が一緒に歩いている姿が映っていた。もし、もっと多くのカメラが設置されていたら、犯人を特定する手がかりになったかもしれない。
通り魔事件が増えている今日、防犯カメラの導入に反対する人は少ないのではないか。
三つ目の対策は若者の身体を鍛えることだ。外で遊びやスポーツもせず、家に閉じこもってゲームにのめり込む生活がどう考えてもいいわけはない。
身体を動かし、鍛え、健康な肉体になれば、精神も健康になる。
子どものころ、おとなしくていじめられていても、空手やスポーツで身体を鍛え、強い精神力を獲得した人も多い。

正常が病に宿ることは中学生にでもわかるし、防犯カメラの設置に私は断固反対である。何故なら私が最も初めに逮捕されるだろうからだ。
ひきこもらない者は皆わたしの敵である。