c4se記:さっちゃんですよ☆

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秋葉原無差別殺傷、コメント集め。

絶望せよ!
 http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080620/1213915812

絶望せよ!!!
社会問題には個人は決して責任を持たない。しかしそれを作り解決するのは個人である。
そして、
絶望せよ!!!!!


秋葉原無差別殺傷事件について雨宮処凛さんと赤木智弘さんにコメントを伺いました。
 http://d.hatena.ne.jp/furukatsu/20080612/1213201277

今回の秋葉原で起きた無差別殺傷事件については、多くの報道で加藤容疑者の労働環境や合理化にともなう派遣打ち切りが一因であったのではないか、というような報道がなされています。加藤容疑者の職場であるトヨタグループの関東自動車工業東富士工場では生産調整のための人員削減が計画されており、加藤容疑者はこれら一連の会社側の処遇に対して不満を掲示板にて述べていました。
加藤容疑者の犯行の動機については、様々な要因が考えられますが、ここではその一因であると思われる派遣労働における身分の不安定さ等の労働問題を焦点に、当ダイアリーでは今回の事件ついてフリーター、派遣等の格差問題に詳しい作家の雨宮処凛さんとフリーライターの赤木智弘さんにコメントを伺いました。


雨宮処凛さんのコメント
まさに不安定雇用が原因のひとつではないかと思う。いきなりクビにされるという、バカにされているような働き方で人生が否定されている。私のところにも自殺願望に近いような自暴自棄な意見が多くきている。相談に来る人はそういう事件を起していないが、とうとうこういう事件が発生してしまったかという感じがする。
日研やトヨタだけが悪いわけではなく、このような働き方がスタンダードになっている。派遣労働者は毎月、毎週と職を失う恐怖を感じている。また、周りでのクビが多く見せしめになっており、労働者にプレッシャーを与えている。このような状態は特定の派遣業者に限った話ではない。利益をとるために派遣労働者が使い捨てにされているが、精神的に追い詰められていることに企業が鈍感になっているのではないか。労働者は物ではなく人間だ。
しかし、秋葉原で何の関係も無い人を殺したことは間違っている。経団連やトヨタといった相手に労働運動を通じて怒りをぶつけることが出来ればよかった。


赤木智弘さんのコメント
起こるべくして起きた事件であると思う。
社会が非正規雇用の労働者を粗末に扱ったからこそ、非正規労働者に復讐をされるということになってしまった。
しかしながら、若い人が亡くなったことは残念だ。2ch等では渋谷でやればよかったというような意見があるが、むしろ巣鴨でこれまでこんな社会を作り上げた人をまきこんだほうがよかったと言うべきだろう。
また、マスコミの報道では加藤容疑者を異常者扱いしているが、それは社会の責任を問わないものだ。いわゆるオタクでも自分は加藤容疑者とは違うというようなことを言って異常者扱いをしているが、それは彼を社会から切断するものであってよくない。


秋葉原殺傷事件
 http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2008-06-15
特集ワイド:秋葉原殺傷事件 問われる「社会の責任」−−大塚英志さんに聞く
 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080617dde012040012000c.html

◆加藤容疑者と永山元死刑囚の共通点
◇時代の「若者像」との格差/軍用の武器を使用/親から「捨てられた」意識
「今回の事件を起こした彼を見ていると、永山則夫を思い出します」。永山則夫・元死刑囚は1968年、19歳の時に警備員ら4人をピストルで無差別に殺害したとして、97年に死刑が執行された。極貧家庭で8人兄弟の四男として生まれ、バクチ好きの父親と逃げ出した母親から育児を放棄された。「おれが無知で、貧乏だったから」と法廷で事件の背景を語っている。大塚さんには、永山元死刑囚の時代を描いた漫画「アンラッキーヤングメン」(角川書店)の作品がある。
「永山は中学卒業後、集団就職で青森から上京した。このころ、大学生たちが少年マガジンを読み、アングラ劇団が始まった。つまり、サブカルチャーが生まれた。永山は職を転々とした後、新宿でジャズバーの店員となった」。大学生という新しい若者像にたどりつけなかった永山元死刑囚と、正社員との格差が広がる「派遣社員」である加藤容疑者の位置が、時代を超えて重なるという。
60年代の若者文化の中心が新宿なら、現代は秋葉原だ。永山元死刑囚は在日米軍基地から盗んだピストルで犯行を重ね、加藤容疑者はミリタリーショップでダガーナイフを手に入れた。「永山が幼いころから家出を繰り返し、母親から『捨てられた』ことに拘泥する姿も、彼と重なりあう」。加藤容疑者は、携帯サイトの掲示板に、<中学生になった頃(ころ)には親の力が足りなくなって、捨てられた>と書き込んだ。「ネットやアキバと関連付けようとすればするほど、彼の姿が見えなくなる」
共通点を並べたうえで、大塚さんは強調する。「永山の時代と今が『変わった』とすれば、事件を受け止める側に『社会の責任』という感覚が希薄化したことに尽きます。メディアの報道は、心の闇という決まり文句を繰り返し、直接的な原因をサブカルチャーに求め、自己責任として個人の厳罰化を叫んできた。しかし、派遣労働者の問題は『社会問題』で、そのような『社会』を容認してきたのは誰なのか。今日ではさすがに考え込まずにはいられなくなっている」
「加害者を生んでしまったことに、私たちの責任はないだろうか。かつて繰り返された問いをもう一度真摯(しんし)に考える時期に来ています。加害者の責任の一端を担う社会の枠組みをもう一度復興できるかが問われている。労働格差に悩む若い人の間で、蟹工船が読まれる時代なのです」
加藤容疑者は掲示板にたくさんの「自分について」を書き込んでいる。
<平日の昼間からふらふらしている俺(おれ)ってなんなんだろうね>
<いつも悪いのは全部俺> 大塚さんは「彼は自分であることの不安や、社会が実感できない不安に耐えかねていたのでしょう。自分だけの言葉で『誰かぼくの声を聞いてくれ』では誰にも届かない。彼は他者と会話する言葉を使うことができず、返事がこない孤独に耐えることができなかった。そして、返信する側も彼を受け入れることができなかった」と語る。誰もが発信者になれるインターネット。未熟な言葉を発しているのは加藤容疑者だけではないだろう。
では、どうしたらいいのか。大塚さんは「難しいことじゃない。見知らぬ誰かと話すことから始めればいい。アキバは本来、それが可能な街だったはずです」と話した。


仮想と現実 - 俺が現実を見せてやる!
 http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080621/1214055696

故に、「仮想に生きることをやめよ」とは、心頭滅却し、精神を消滅させれば、そこに現実がある、それのみを見よ! という言いなのだ。
詰り、禅に入門せよ、極めよ。喋るな、視るな、聴くな、動くな、味わうな、考えるな、感じるな、生活するな、恋愛するな、政治をするな、テレビを見るな、Wiredに接続するな、子を産み育てるな、自らを育むな、テレビに出演するな。
おお、何という素晴らしい命題! 打ち震える感動なのだろう!!