二点、挙げておく。
(1) オリンピックは国家の祭典である。
近代のオリンピックはピエール・ド・クーベルタンが平和の為、として興した祭りである。しかし古代のオリュンピア大祭でもそうだが、オリンピックでは国単位で選手が選ばれ競技するのだし、やはり国単位で開催するのだから、自国の優位を示すための場とされるよりほかはない。
1936年のベルリン以後のオリンピックは意義がないと私は考える。
(2) アマチュアリズムは無効である。
オリンピックは非政治的であるとする発言は未だアマチュアリズムを根拠としている。
アマチュアリズムとはスポーツの無償性の規定だとここではするが、スポーツのような、今や人工のほうがまともに事を成しうる領域での自然の無償性はありえない。
スポーツは人間がそれをやるただその点に価値があるのであって、故にあらゆる意味で有償である。もちろん政治的な価値も強いことは、テレビをみていれば簡単にわかる。
オリンピックなどやめて、自由参加の「世界スポーツ大会(ネーミングは変えようね)」をやったほうがずっとましだし、見甲斐もある。
よもぎねこさん「中国のオリンピック精神」
http://yomogineko.iza.ne.jp/blog/entry/537111/
ツァラトゥストラはこう言っている?さん「オリンピックは政治的であり、問題解決も政治的になしうる?」
http://moon.ap.teacup.com/zarathustra/
「中国の政治力のなさ――衛星撃墜に対して」
http://d.hatena.ne.jp/Kureduki_Maari/20080222/1203675375