c4se記:さっちゃんですよ☆

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憎悪だ!! 現在を! 過去を! 未来を憎め!! 全実存を憎悪しろ!!!

憎悪だ!! 現在を! 過去を! 未来を憎め!! 全実存を憎悪しろ!!!


ちょっと前に人気があったエントリー↓。
guri_2さん「要は、勇気がないんでしょ?」 [image]
 http://d.hatena.ne.jp/guri_2/20080316/1205641886

だから何かにつけて言い訳をする人を見ると「傷つきたくないからやだなーって思ってる部分があるんだろな」って思ったりします。
でも、自分もそうだったから「だせぇ」とはあまり思わずに、どうしたら勇気が持てるようになるか、力になれないかって考えたりします。
僕の友達がやったような荒療治がいいときもあるだろし、
ゆっくりと一緒に解決した方がいいときもあると思うし。


正直なところ、
言い訳したり、あら探しをしたりしながら今の自分を守って、それで70、80まで生きてもいいと思うんです。
イヤミとかそういうんじゃなくて、それもひとつの生き方だと思うし。


ただ個人的には、欲しいモノはなんとしてでも手に入れるべきと思ってるのと、
勇気が出ないっていう本音をカモフラージュしながら何十年も言い訳をしつづけるのは、考えただけでげんなりするので、
できない理由を考える暇があるなら、できることだけでもやってしまった方がいいと思うし、そっちをおすすめしたいんです。


「それができない人もいる」という意見は、とてもよくわかるんだけど、最近はわからないフリしてる。
ホントにそうか?って思う。
なぁなぁ、ホントにできないか? できない理由って具体的になんだ。それに対してこれまで行った対応策はなんだ。
意外と具体的には言えなくて「なんとなくできない気がしてる」だけのときってあるし、
突き詰めてみると、「それって勇気を出して一歩踏み出せば解決するんじゃん?」ってことが案外あったりすると思ってるんです。

一言、ふざけるな、といっておく。
出そうとして勇気はだせねえんだよ。勇気は出した後に出そうと出来るだけだ。気力なんてもんは、みんなそうだ。意志じゃない。気力とは、過去だ。


いい文章がある。
Rir6さん「[悪意]世界よ、もっとウインプ達の憎しみで満たされろ」
 http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080318/1205768183

では、「解決」なるものが存在しない以上、私たちはこの「社会」という地獄をひたすら耐え抜き、人生に終わりが来るのをじっと待つしかないのだろうか?
さんざんここまでの文章でニヒリズムを煽ってきた僕が言うのもなんだが、それは違う!確かに私たちは問題を解決は出来ないかもしれない。だが、そもそも私たちは本当に「解決」なんかを望んできたのだろうか?胸に手を当ててよーく考えて貰いたい。私たちがダンコガイの文章やid:guri_2の文章、金持ちマッチョどもの「自己責任で頑張ればなんとかなるんだ」という発言を見たり聞いたりしたとき、私たちの胸には何が生まれたのか?「ああいう人たちになりたいなぁ」という憧れ?「そういう誤解を解いて、自己責任じゃ何とかならないと分かって貰いたい」という良識?違うでしょう。私たちはまずこう思ったはずです。「こいつらを酷い目に遭わせてやりたい」と!つまり憎しみです。私たちはどうしてもそれをオブラートに包んで、何か「それは自己責任ではなくて社会の責任だ」とか、「そのように言うあなたたちは既得権益によってそんなことが言えているんじゃないですか」という様な社会的に正しい意見に仕立て上げようとしてしまいます。ですが、そうやって社会的に正しい意見にすればするほど、本当に言いたいことは消えていってしまいます。じゃあ、「そうだよね、貧困とか格差は社会の責任だよね」と理解をしめしてくれる金持ちなら良いのか?「しょうがないなぁ、職がないなら僕が雇ってあげるよ」と言う会社社長なら良いのか?違うでしょう。私たちが本当に言いたいこと、それは「てめーらうぜぇ。ぶん殴りたいぐらいむかつく。とっとと消えろ」ということなはずです。言葉で相手を傷つけたいはずなんです。だったら恐れることはない、それをやれば良い。*3
もちろん、このようなことを言うと大きな反発を食らうことも知っています。「彼らは別に善意で言っているんだから、それを罵倒するのは酷い」と。だが、そもそも何で善意の発言は罵倒しちゃいけないんですか?というかそもそも人を憎み、罵倒することに「正当な理由」が必要であると、そう考えること自体、「正当な理由なき罵倒の自由」を社会に搾取されていることに他ならないんじゃ、ないんですか?
そもそも彼らマッチョは既にマッチョなんですから、金とか名声とかそんなものは十分あるわけです。だったら何でその上私たちが、インターネット上で彼らが傍若無人に自慢や根性論を書くのを容認しなきゃならないのか?僕にはそんなもの奴隷根性であるとしか思えません。ウインプはマッチョの文章をインターネット上で見つけたらすぐに罵倒し、そのマッチョを追い出す。これぐらいのことをしても十分OKでしょう。というか、何でウインプたちがそういうことをしないのか、僕は不思議で仕方ありません。

コメント共(http://d.hatena.ne.jp/Rir6/20080318/1205768183#c)にすごい憎悪を感じるが。


さらに名文を引いてみる。
永山則夫『人民を忘れたカナリアたち ――続・無知の涙』河出文庫 BUNGEI Collection, 1998, 72p〜
人民をわすれたカナリアたち―続・無知の涙 (河出文庫―文芸コレクション)

右の文章で、すでに私が「反措定」的実存者(被抑圧者階級:引用注)であることが分別せられるであろう――(そしてこれを言うのは、次の文章を編もうとする意図がある)。
それはなぜかというに、「反措定」的実存者を“人々”とよび、「措定」的実存者(資本者階級:引用注)を“輩共”と呼ぶ、――その意識の表皮には、すでに沸騰点を遥かに越した何者かがあるからである。
“何者か”の正体とは、いったいなにか?……
さあ、諸君よ当ててごらん! ハッハハハ……諸君はすでに私と哄笑している(尤も心のなかでね)。さあさーあ! 当てたら、御正解ならば、ミリオンダラーの褒賞もんだぞ! あら? ほらほらだ! 諸君はついに声を出して本当に哄笑してしまった――ちっと黄色すぎの歯をむきだしてね!……
それは、――憎悪だ!!……まあまあ諸君よ、話はこれからだ。その憎悪を誰に対して、そしてなぜに向けるのかをゆっくり、またはリズムにのって論説してゆこう。……上手下手は後まわしの話でね。それからまた、諸君を眼前に居ないものと思って独白的に語る(事実だが)。
最初に言明する、この太字の憎悪は、「反措定」的実存者のなかに生活する者以外の輩共には理解不可能なことだ。――譬え、例の輩共が、化装して「私も君たちと同様な運命にあるのだ、仲間にどうぞ入れて下さい、お願いします」と慇懃に言って接近して来ても、――暫時それを凝視するのならば、そこには歴然たる亀裂があるのを確認し、まざまざと見せられるであろう。なぜならば、その他の存在者たちは、最終的行動を共に取られ得なく、いざとなりゃ躊躇と逡巡を露呈し、それが空言葉の大言壮語だと「反措定」的実存者つまり被抑圧者たちに悟られてしまうからである。

永山則夫についてはまた確実に書くだろうから引用はこれだけにしておく。
〈貧〉は財の零として規定される。ルネ・デカルトからの伝統でいい。悪は善の零、無は有の零なり。偽は真の零であり、醜は美の零なる。偽・悪・醜に負(=正)を与える傾向には賛同できない。負(=正)はただ正と同等なだけである。〈貧〉を富裕と同等にするのは許せない。許せないことは間違っていること。一例として、勇気の〈貧〉は勇気の負ではない。
零は負の度合いではない。負は正の方向ちがいなだけ、なにか偶然、それで正だったかもしれない。
零とは逆の度合い、内包の度合いであり、測度の極限地である。断じてだ、〈貧〉は富裕ではない。


憎悪だ! 殺意! もちろんそれは、自分が生きていないことを前提としている。
死ぬ為に生きるのである。生きる為に生きている“輩共”はただ死ぬのみである。


生得的であれ後天的であれ、義務を必要とする他はないのだから、権利はみな死ね!
ここで大事なことは、一斉に全ての権利が死ななければならない事だ。



永山則夫『無知の涙』
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)人民をわすれたカナリアたち―続・無知の涙 (河出文庫―文芸コレクション)
〈貧〉について考えたいときは、彼男以上の者はいない。


子飼弾さん「社会を使って自分を助けろ」(上記 Rirさんへの返答)
 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51020014.html


ハセガワケイスケ「しにがみのバラッド」
しにがみのバラッド。 (電撃文庫)しにがみのバラッド。〈11〉 (電撃文庫)


赤木智弘「若者を見殺しにする国」
若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か