c4se記:さっちゃんですよ☆

.。oO(さっちゃんですよヾ(〃l _ l)ノ゙☆)

.。oO(此のblogは、主に音樂考察Programming に分類されますよ。ヾ(〃l _ l)ノ゙♬♪♡)

音樂は SoundCloud に公開中です。

考察は現在は主に Scrapbox で公表中です。

Programming は GitHub で開發中です。

んなこたぁわかってる

小飼弾さん「小市民の敵は、小市民」
 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51010743.html

報われるのをただ待ち続けて、待ちぼうけを食らった事を嘆いても、何も起きない。それを街角で叫んでも、せいぜい空き缶の小銭が増えるだけ、はてダで書いてもスターと同情コメントが集まるだけ。
それでいいなら、私は何も言わない。
待ちぼうけがいやなら、待っていてはいけない。「小市民としての幸福を全うできるような」世の中なんて。「マッチョじゃなくてもそこそこ幸せに生きていける社会」なんて。
それはマッチョになってから考えればいい。ウィンプ(wimp; machoの反対)なままで幸せになろうなんて虫がよすぎる。そう言ったのは、マッチョでなくてウィンプたちなのだ。そこそこの幸せのために譲らず、お互いの足を引っ張り合っているのはウィンプたちである以上、そう結論せざるを得ない。

はいはい結構。
どうでもいい。
要するに「常識に従おうね」ということでした。

雑種路線でいこうさん「小市民も幸せに暮らせる社会へ」http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20080227/sync

僕はsync先輩に対してウジウジ文句いってないで世の中と折り合って逞しく生きろよ格好悪いぞって肩を叩きたい一方で、世の政治家や役人に対しては、早く日本をsync先輩のような典型的日本人が大切に育てられ小市民としての幸福を全うできるような、本来あるべき日本社会を恢復して欲しいと切に希う。

のように言うのもかなりどうかと思うが。切に希ってどうするんだ。

分裂勘違い君劇場さん「氷河期の猛吹雪にズダボロに引き裂かれた人々と、グングン成長した人たち」http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080228/1204203051 はもっとわかっている。

あの猛吹雪の時代、全員が助かる方法はなかった。
多くの人間の人生が破壊されるのは、愚かな政策の必然的帰結だった。
id:repon氏やid:sync_sync氏の人生がグロテスクなまでにグチャグチャにされたのもそのプロセスの一環だった。

しかし一方で、猛吹雪の中でも自分だけが助かる方法など探せばいくらでもあったというのも事実だ。。。。id:dankogai氏、id:muffdiving氏、id:naoya氏、id:jkondo氏のような要領のよい人間たちにとっては。
だから、id:sync_sync氏が「時代が悪かったのか、僕が悪かったのか、教えて!ダンコーガイ!」と呼べば、ムキムキマッチョのダンコーガイが「やりかたなどいくらでもあった」と答えるのは当然だ。
これはダンコーガイが非人道的だからではないんだ。ダンコーガイに悪意はない。
マッチョマンに尋ねればマッチョな答えしか返ってこない、という、それだけの話なんだ。
ダンコーガイは頭も体もマッチョなんだ。100%pureマッチョなんだよ。
マッチョというのはどんなに苦しい状況だって泣き言なんて絶対に言わない生き物なんだ。
死屍累々阿鼻叫喚の地獄からでも、なにごともなかったように生還するクールなタフガイなんだ。
そういう美意識を持っている。片腕がサイコガンになってるスペースコブラみたいな陽気なムキムキガイなんだ。
誰もが「もうダメぽ」「万策尽きた」と絶望するとき、そこから脱出する方法を3つも4つも思いついちゃうような機転の利くイケてるヒーローなんだ。
id:repon氏やid:sync_sync氏が「自分はわるくなかった理由」を10個考え出している間に、「その状況から抜け出す具体策」を10個考え出す生き物がマッチョなんだ。
マッチョは、とにかく目の前の具体的問題を解決することを優先する。誰が悪かったかなんて、あとから考えるんだ。矢が刺さって、血がどくどく流れているのに、誰が矢を放ったかを議論している場合じゃない。とにかく矢を抜いて止血するのが先だと考えるんだ。「ボクは悪くなかった。時代が悪かった。」そりゃそうかもしれないが、それよりも先に考えることがあるだろう?と考えるのがマッチョ。

傷ついてズダボロになったid:sync_syncid:reponには休養が必要だが、
まだ健康で十分な余力のある若者たちは、マッチョたちの指し示す方角に目を向け、自分をマッチョに鍛え上げる道を進むという選択肢もある。
そしてダンコーガイは単にマッチョであるだけでなく、ハードボイルドでもある。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」というのがハードボイルドの美意識だ。
礼儀をもってダンコーガイに教えを請えば、マッチョになる方法を気前よく指南してくれることだろう。
それはともかく。。。マッチョじゃなきゃ豊かに生きていけない社会って、なんだかバイオレンスジャックの関東地獄地震後の弱肉強食ワールドみたいでウンザリではありますね。
マッチョじゃなくてもそこそこ幸せに生きていける社会を作っていきたいものです。

まぁ私は小飼弾さんの教えを呼ぶ例の有名文句は血反吐を吐いても脅されない限りは吐かないが。考えることを生業にしようとしている者がその考えを放棄して教えを請うのは単なる屈辱だからだ。
で。
僕はマルクス主義者ではないが、カール・マルクスの主張は今はまだ正しいと言おう。全員が富を蓄積することは無い。だが

同じく「「地道な努力」よりも、はるかに人生を好転させる努力の仕方」http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080111/1200020891

マルクスでさえ、「労働価値説」を信じていたぐらいだし、
ほとんど動物的なレベルで「努力に比例して価値が生み出される」ということが
正しいと思えるのが、人間という生き物なのだろう。

こんなこと言い出すし。あほか。マルクスの並みの概説書にでも彼男はそんなこと言ってないと書いてある。〈一般的人間〉の労働という概念がマルクスの価値概念には付いて回るのだ。〈普遍的人間〉でもいい。生活の原像で、と言っても同じことだ。
自然と人間の間の生産-消費が価値の基底である、とマルクスは言っている。今後10年ほどは全く正しいだろう。流通-アテンションが価値の源泉となる時代になりつつあるが、だからマルクスの価値概念が死ぬわけではない。この程度の転換で人類数百万年の活動は揺らがない。
全員が"マッチョ"になることはない。"ウィンプ"もいりゃぁ"マッチョ"もいる。いるもんはいる。だが思考の目標が、どちらかでないと救われない、ではならない。だめったらだめ。理想のみが思想する価値がある。